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大風呂敷のススメⅡ

襟裳の夏は「世界一の夏」です!

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十年以上前、プロジェクトXで「襟裳岬に春を呼べ」を見た。砂漠化した襟裳岬を四十年かけて復活させるドラマだった。それ以来、一度襟裳岬を訪問したかった。
札幌からバスで3時間半。バスの終点まで、友人が車で迎えに来てくれた。そこから一時間。襟岬の海は青く、水産業を営む友人の息子さんは後を継ぐために東京から帰ってきて修行中という。
襟裳岬の海はかつて真赤だった。寒さを凌ぐため、森の木を切ってしまい、砂が流れ込んだからだ。特産の昆布も泥まみれになった。
「山が荒れると、海も荒れる」と、襟裳の海を復活させるために、200ヘクタールの植林を始めた男たちがいた。昭和28年のことだった。
昭和49年、森進一の「襟裳岬」は「襟裳の春は何もない春です」と歌い、襟裳岬は全国的に知られた。男たちは、「何もない春」という歌詞に怒りすら感じた。植林は男たち、妻、子供たちも参加して続けられた。
平成4年、荒地のほとんどかクロマツの若々しい森に変わった。海も青くなり、クロマツ林の腐葉土から運ばれた栄養分が襟裳の昆布を蘇らせた。 男たちは、「襟裳の春は世界一の春です」と歌った。
それから20年余。襟裳岬は緑の地となっていた。豊かな海はゼニガタアザラシの生息地でもある。
記念写真は、襟裳で水産業を営む友人と、その息子さん。東京で仕事していたが、襟裳に帰ってきたという。夜の会食のときも「明日は昆布漁があるかな。波がつよいからないと思うのですが」としきりに気にしておられた。仕事があるとお酒も控えめにしなければならないからだ。

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襟裳の皆さんとカラオケをした。私が替え歌で歌った。「襟裳の夏は『世界一の夏』です」

 地元の人々が地域の復興を真剣に考え、挑戦し続ければ、若い人も帰ってくる。地方に未来はある。そんなことを考えた襟裳岬であった。

群馬の「かかあ天下」は「女性の時代」に生きる!

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群馬県前橋の倫理法人会にお招きいただき講演させていただいた。昨年の高崎以来、3回目の群馬での講演であり知人も増えてきた。「縁(えにし)」がつながっていくことを感じている。
上州名物といえば「かかあ天下」である。養蚕がさかんだった上州である。蚕の飼育は女性の持つ繊細な感覚と骨身を惜しまぬ勤勉さが「かかあ天下」の源流になったという。

倫理法人会の講は前日のイブニングセミナーとモーニングセミナーのダブルヘッダーだったので、15日には群馬県庁によった。昭和時代の風格ある旧県庁舎で「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」が開催されていた。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は吉田松陰の妹、「文」が主人公である。そのご主人のカ取素彦が初代群県令だったのご縁なのだそうだ。

16日のモーニングセミナー講演と朝食会が終わってもまだ8時前だったので、友人と会った。せっかく群馬に来たのだからと世界遺産「富岡製糸場」を案内してくれた。レンガ造りの東繭倉庫、繰糸場など堂々たるものである。明治3年にフランスの技術を導入して作られた富岡製糸場は当時としては「大風呂敷な構想」であったろう。明治5年の創業から昭和62年までの115年。富岡製糸場で作られた絹はフランス、アメリカに輸出され日本の近代化を支えてきた。

富岡製糸場で初めて繭からとった絹糸に触れた。くもの糸のようだった。15歳から25歳の若い工女がつむいだ繊細な絹糸が日本の躍進の原動力だったのかと感銘を受けた。

「花燃ゆ」の主人公、文も当然女性である。富岡製糸場の主役も若き女工たちである。こう考えると、群馬の「かかあ天下」は女性が活躍しやすい風土をつくってきたのではないかと思えてきた。

これからは「女性の時代」である。群馬は「女性の時代」のトップランナーとなる風土を持っているのではないかと思えてきた。女性の時代は「かかあ天下」群馬が活躍できる時代なのである。FullSizeRenderIMG_3428

そういえば、私を最初に群馬に招いてくれた松下政経塾の後輩も女性県議だったし、前橋倫理法人会の会長さんも女性であった。

改めて思う。広島は「平和への祈り」の聖地へ

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広島、PHP松下幸之助経営研究会で講演させていただいた。松下政経塾の後輩である中原好治県議会議員の縁で広島にお招きただいて以来、三年続けて講演させていただいている。

講演会終了後の懇親会は元広島カープの木下選手(ヒゲの木下)の息子さんが店長をしている「野球鳥きのした」で行われた。カープが連敗を脱出して、大いに盛り上がった。広島っ子のカープへの愛情を感じることができた。「ソフトバンクホークスと日本シリーズで戦いましょう」と言ったら、これもまた盛り上がった。

ホテルに着きテレビをつける。天皇、皇后両陛下が慰霊のためパラオを訪問されているニュースが流れていた。両陛下には議員時代に何度もお目にかかっているが、国と国民を思う真摯なお姿にいつも感銘を受けている。
陛下は日本人が忘れてはならない日として、終戦の日、広島・長崎に原爆が投下された日、そして沖縄慰霊の日を挙げておられる。

朝、時間があったので平和記念公園を散歩した。広島には何度も訪問しているのだが、記念公園を歩いたのは高校の修学旅行以来、四十年ぶりであろうか。原爆の子の像の前には40年前の私のように修学旅行生が解説を聞いていた。欧米からの観光客も多く見られた。クラスで千羽鶴を創って献納したことを思い出した。

天皇陛下はパラオで「太平洋に浮かぶ美しい島々でこのような悲しい歴史があったことを私たちは決して忘れてはならないと思います」と述べられた。平和記念公園も足を伸ばした広島城も散り始めた桜と新緑に囲まれて美しかった。こんな美しい広島で、悲しい歴史があったことも忘れてはならないと思った。

広島城は原爆で破壊され、昭和33年に再建された。私と同い年である。ということは、修学旅行に来たときは17歳だったのかと改めて思った。広島城も年を重ね、風格が出ていた。私も見習わねばと思ったものだった。

ところで、懇親会のとき、隣に宮島親善大使のお嬢さんが座られた。宮島は、原爆ドームとともに、1996年世界遺産に登録された。「フランスのモンサンミッシエルと海に浮かぶ世界遺産であり、信仰の聖地として交流があるのです」と教えてくださった。世界からの観光客も増えているとの事だった。原爆ドームと、宮島という二つの世界遺産を持つ広島は「平和への祈り」の聖地として、世界に日本の思いを発信して欲しいと改めて願うものである。IMG_3376 IMG_3378 厳島

豊かな安城は「ナンバー1」をめざせ!

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政治家時代の地元である愛知県安城市のライオンズクラブに講演で呼んで頂きました。
懐かしい顔がたくさんありました。お茶を出してくださった女性が「議員時代にお会いしたことがあります。お久しぶりです」などと言われ、「ふるさとは暖かい」を実感しました。

消滅可能性都市をレポートした「地方消滅」がベストセラーになり地方都市が危機感を強めていますが、ここ安城は別格。都市が消滅するという根拠は若い女性が少ない、結婚しないということですが、安城の若年者有配偶率は68.3で全国8位、合計特殊出生率は1.75で全国57位。自動車産業の繁栄もあり、結婚して子供を育てる若いカップルが住みやすい地域となっています。新幹線の三河安城駅でも若い女性、カップルの元気な姿が目立ちました。

ただ、「ふるさと」だから申し上げると、安城はソフトバンクが買収する前のボーダフォンに似ているような気がしました。その頃のボーダフォンは、NTTドコモさん、KDDIさんに続いて第三位。Bクラスに甘んじるプロ野球チームのようにそこそこの豊かさに安住し、覇気がありませんでした。

そのボーダフォンが「ナンバー1って楽しい」という文化を持つソフトバンクグループの一員となります。それまでずっと3位だった純増が2007年5月にはじめて純増1位になります。いったん、1位になると発想が変わります。やればできると自信がつく。1位じゃないと気持ちが悪くなる。勝ちグセがつく。それがソフトバンク、飛躍のターニングポイントでした。

「ふるさと」安城はいい都市ですが、なにか名古屋があって、豊田・岡崎があって、三番目でいいやと思っているところがあるような気がします。

どんな分野でもいいから、知恵を使ってナンバー1をとる。一番がホームポジションになるとそこでないと気がすまなくなる。いい波及効果を持ってすべてが成長するという「飛躍への軌道」に乗ることができます。豊かな「ふるさと」安城だから、ぜひ頑張って欲しいと思います。

講演におよびいただいたライオンズクラブのT会長はロボットに興味をお持ちでした。ソフトバンクが取り組んでいるペッパー君は、人工知能(AI)を搭載する120cm程度の人型ロボット。喜びや悲しみといった感情を数値化し、感謝されたことは「良いこと」、叱られたこ とは「悪いこと」として学習していきます。家庭や店舗、会社などで動くペッパーが数値化した感情はクラウドベースで「集合知」として共有されるため、加速度的 に進化していきます。介護、教育など用途は無限大です。

いずれ、ロボットが日本の主力産業になるかもしれません。そのときは自動車産業で発展したこの地域が、ロボット産業のメッカに進化しているかもしれません(?)

 

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三河安城から新幹線に乗るとき、「サライ」の歌詞がうかびました。
「桜吹雪のサライの空へ いつか帰る いつか帰る きっと帰るから」

小泉元総理、細川元総理と福島へ

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4年目の2015、3.11。私は小泉元総理、細川元総理とともに福島を訪問した。会津電力と私が運営委員をつとめる自然エネルギー推進会議が共催でシンポジウムを開催。小泉元総理が会津喜多方で講演されるのに同行したのだ。

福島の人さえ「まもなく春と思っていたのに、驚いた」という大雪だった。当初、郡山まで新幹線でそこから車移動の予定だったが、雪のために急遽予定変更。米沢まで行き、そこから雪の峠越えで喜多方になんとか到着した。

雪のため、来場者が減るのではと心配する地元主催者の心配をよそに小泉さんは元気だった。「やまとや」で喜多方ラーメンと焼きおにぎりをい食べながら「雪は縁起がいい。今は、雪で発電できる技術がある」このポジティブ思考がいい。

講演が始まる。1000人近い聴衆に語る。
「原発は安全、原発はコストが安い、原発はクリーンと専門家が説明してきた。これは全部、ウソだった」
「1978年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリ、そして福島。50年に三回も事故を起こしてきて安全と言えるわけがない」

原発再稼動についても発言されたが私が最も注目したのはこの言葉である。
「日本の原発は世界で一番、テロに弱い。世界の人は心配している。それでいて、再稼動。あきれますね」

日本の原発はどれも海辺にある。海上からの高速船によるテロの襲撃には全く無防備であると聞いた。韓国の原発のゲートには機関銃坐が備え付けられているのが現実なのである。

イスラム国、ISISも日本への警告を発している。原発を再稼動し、原発テロに遭遇したとき、「テロは想定外でした」「テロは定められた安全基準に含まれていませんでした」と九州電力や関西電力の経営陣は答えるのだろうか。

「少年よ大志を抱けというが、老年だって大志を抱いていい」
小泉総理の講演は、一貫してポジティブで、元気が出る。しかし、そのなかに、やはり大宰相として国を担ってきた人の視点がある。

「原発テロが起きたら、福島以上だ」と小泉元総理。
2015.3.11 福島 003
原発再稼動へ前のめりの現政権。「あきれる」し、危機感を感じるのである。

今こそ、山田方谷のイノベーションに学べ・・岡山政経塾で講演

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岡山政経塾で講義させていただき、足を伸ばして司馬遼太郎の小説「峠」で越後長岡藩の河井継之助が尋ねた幕末の陽明学者、山田方谷の城下町、高梁を訪れました。

岡山政経塾は松下政経塾の地域政経塾からスタート。その後も「岡山から地域を変える」という志を掲げて活動しておられる。講義の最初と最後には全員が起立して礼の挨拶をされるなど、ふだん教えている大学ではない凛とした空気に身が引き締まるのを感じました。

岡山のイチゴを全国的にしようと努力していたり、吉備高原で再生エネルギーに挑戦しようとしている人がいたり、地域から日本を変えようとしている姿に感銘しました。

山田方谷は、幕末の西郷隆盛や吉田松陰に影響を与えた陽明学者佐藤一斎塾の塾頭を務めたあと、郷里である備前松山藩五万石、板倉勝静(かつきよ)の元締役(藩の財務大臣)に抜擢され財政改革を成し遂げた人です。

五万石と言われながら実質は二万石。十万両の借財にあえいでいた「貧乏板倉」を七年で蓄財十万両、正兵五百、農兵隊千二百を持ち、実力二十万石とも三十万石とも評価される富国強兵藩に変身させたのが山田方谷です。

その成功が評価され、主君板倉勝静は老中となり、方谷も政治顧問に就任。幕政に関与することになります。財政改革者としての方谷に諸藩の重役がアドバイスを求めたといわれます。

財政改革というとケネディ大統領が尊敬する日本人としたことで一挙に有名になった上杉鷹山が有名です。私は上杉鷹山の改革が五十六年かかったのに対し、山田方谷の改革は七年でできたという意味で、現代の日本は方谷をより学ぶべきだと思っています。政策にはスピードが大事です。

さらに注目すべきは緊縮策だけでなく、産業振興も同時に行ったことです。 備中鍬(ぐわ)という先が三本に分かれている鍬を使い、幼き頃「畑うち」をしました。普通の鍬より子供の弱い力でも深く入ったことを覚えています。これが、山田方谷の産業振興策で生まれ、全国に普及したものだと聞いて驚きました。

全国に普及し、今も使われるロングセラー商品が山田方谷のイノベーション施策で生まれたわけです。

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岡山政経塾の塾生たちがそれぞれの場で活躍し、岡山を飛躍させるとともに、100年先にも使われるようなイノベーションを生み出すことを期待します。

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