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メルマガ「シマサト」1月19日号

「日本はもっと良くなるはずだし 良くならなくてはならない  嶋さとし」

 

300年続く企業になるには?

 

1月10日の日経新聞に孫正義社長の「300年成長を続ける企業へ」が掲載されました。

これを機に「300年続く企業、組織」になる為に大切な事を考えました。

 

─∞  目 次  ∞───∞───∞───∞───∞───∞───∞───∞───∞

1IoT の時代に布石を打つのが太公望兵法

2. 200年長寿企業の4割が日本に

3. 松下幸之助250年、孫正義300

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1.IoT の時代に布石を打つのが太公望兵法

 

早いもので1月も半ばを過ぎました。年末には「参議院選挙があるので、それまでは株価を上昇する」などという予想がありましたが、マーケットは大波乱を起こしました。北朝鮮は水爆実験が行われる、米軍は戦略爆撃機を朝鮮半島に飛ばすなど、これも大波乱の予感がします。

こういう大波乱のときに思い出す孫社長の言葉は「迷ったときほど、遠くを見よ」というもの。荒れた海で船に乗っているとき、近くを見ていると船酔いしてしまう。「遠くを見ていれば少々のことは誤差になる」というのが、荒海の乗り切り方です。遠くを見れば、第4次産業革命の曙光が見えています。

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さて、1月10日の日経新聞に「300年成長を続ける企業へ 孫正義氏」というインタビューが掲載されています。

「会社の寿命は個人の寿命よりはるかに長くなければならない。僕は300年くらいは伸び続ける企業にしたいと思っている。今はその構えを作る道半ばだ。成長を続けるため、あらゆる言い訳を未然に察知し、解決策を準備し実行に移すことが必要になる」

この「言い訳なし」で結果を出すというのが孫正義流です。特に、私が注目したのは「あらゆる言い訳を未然に察知し、解決策を準備し実行に移すことが必要」というもの。ソフトバンク社長室長時代、これが私の仕事でした。

「孫子」と並ぶ兵書に「六韜三略」というのがあります。太公望の呼び名で知られる呂尚が、周の文王の子、武王を支えたときの兵法所と伝えられます。項羽と劉邦の時代、劉邦の軍師、張良が座右の書としたことでも知られています。

太公望兵法の基礎は、常に先の先まで考え、布石を打つことから始まります。中長期に手順を考え、基礎を積み重ねて行き、すべての物事を未然に始末していく。いざ、決戦の時にはすでに勝負がついており、不思議なほど順調に事が進むという兵法です。

ソフトバンクが携帯電話事業に参入して以来、私はこの太公望兵法に基づき策を巡らしてきました。私の社長室長8年3000日のうちにソフトバンクが売上高1.1兆円から約7兆円へと飛躍するのに、少しはお役に立ったかと思っております。

21世紀の世界経済における最大の出来事となる第4次産業革命の本番が、幕を開けようとしています。

18世紀に起こった産業革命は、蒸気機関の1次、電機の2次、生産工場の自動化の3次を経て、あらゆるものをインターネットにつなぐIOTと人工知能(AI)を融合し、様々な産業で活用する4次となります。この大きな動きに「布石」を打ち企業を成長軌道に乗せうるかどうかがビジネスリーダーに問われています。

 

2. 200年長寿企業の4割が日本 

9月に中国にお招きいただいた際、「お土産に『老舗稲花村』の月餅を買いにゆきたい」と話したところ、「人気で並ばなくてはいけない」と、招いてくださった社長が買ってきてくれました。

北京稲香村食品舗の第一号店は、清代の末である1912年に前門外観音寺に創設されています。

「中国は、革命があったので、長く続いている企業はありません。その中で、『稲花村』は100年以上続いている珍しいお店です」と言われました。

これに対して、創業100年の企業は、日本に約26,000あります。創業200年を迎えている企業が1,200社、そして創業300年を超える企業が600社程度もあります。さらに、創業400年を超える企業が190社、創業500年を超える企業が40社あります。

実は日本は、世界一の長寿企業大国といっても過言ではありません。 実は、世界全体で見ると、創業200年を超えた会社の4割以上が、日本に存在しているのです。孫社長が「300年続く企業を創ろう」と買収したアメリカ、

スプリントで述べたとき、米国のスプリント社員は違和感を持つのではと心配しました。アメリカの建国は1776年。まだ、建国240年の国なのです。 スプリントの社員は、この呼びかけにスタンディング・オベーションで応え、私の心配は杞憂に終わりました。

 

3. 松下幸之助250年、孫正義300

孫社長が300年を越える企業を創ろうというので、日本に創業300年を超える企業がいくつあるかを調べてみました。答えは605社。ちなみに、室町、戦国時代から500年以上続く企業が39社、1000年以上続く企業は7社です。

これらの長寿企業に共通していることがあります。第一に価値観を後継者、社員につないでいくのが上手であること。第二に超長期の視点から人づくりをしているということです。

 

私の師である松下幸之助氏は、「貧困の克服」という使命の実現には多大な年月が必要であるとし、250年間で達成しようと超長期の計画を提示しました。

さらに、経営者らしく250年を十節に分けました。第一節の25年を三期にわける。第一期の10年は建設時代、次の第二期の10年は建設を続けつつ活動する時代。そして、最後の5年間は社会に貢献する貢献時代。これを、十節250年間にわたって繰り返すことによって、この世を物資に満ち満ちた「楽土」とするとしたのです。

松下幸之助の250年に対抗したわけではないでしょうが、孫正義氏は2009年に創業30周年を迎えるにあたり、同様に「第二の創業」を企画し、「新三十年ビジョン」を発表し300年先を考えました。

 

300年先という単位で考えると携帯電話の端末なんていうのは、もうなくなっているかもしれない。回線という概念すらないかもしれません。

300年先を考えるなら、300年前はどうなっていたかを考えるといいとして18世紀を考えました。

 

今から、300年前の18世紀は、英国で産業革命がはじまったころである。産業革命は、筋肉機能の代替と発展であった。そして、300年経過した今、第4次産業革命が始まっています。

もう少し身近に300年続いている上場企業を考えて見ると以下の通りです。養命酒はなるほどと思いますが、住友金属鉱山、三井不動産、三越などが300年続いています。

松下幸之助は住友、三井のような老舗企業が元禄時代(1700年頃)から、社是を文書などにしていることから学び、1932年7月1日に「松下電器の遵奉すべき精神」を「社主通達」として発表したといわれます。価値観をつなぐためと考えられます。

リーダーには3つの責任があります。仕事の完成と仕事の創造。そして企業を持続、発展させるための人材育成、さらには後継者の育成です。孫正義社長はソフトバンクアカデミアを創り、ニケシュ・アローラを後継者候補に指名しました。

 

紀元前七世紀の中国山東省、斉の国の宰相、管子は「衣食足りて礼節を知る」という現実的な政治を実施しました。その管子が「一年の計は穀を樹(う)うるに如くはなく、十年の計は木を樹うるに如くはなく、終身の計は人を樹(う)うるに如くはなし」と言いました。

よく「教育」が重要だというための名言として使われますが私はそれだけではなく、リーダーは、短期、中期、長期の3つの計画を持たなくてはいけないということだと思います。

 

一年の計、「穀」は毎年の仕事できちんと実績を出すこと。十年の計、「樹」は将来のための新規投資をすること。そして最後が人材教育、後継者育成だと思います。ソフトバンクが「300年続く企業」になるかどうかを注視しながら、このメルマガをお読みいただいている皆さんの企業が「300年続く企業」「組織」になることを祈念いたします。

 

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嶋聡

2016.1.19号 NO.14

株式会社嶋総合研究所 03-6811-6081

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広島で思い出した松下塾長の「観光立国」構想

広島に講演にお招きいただきました。「08年の日仏友好150周年で、モンサン・ミッシェルと宮島をならべたキャンペーン以来、フランス人観光客が多くなりました。フランスでは、京都についで広島が有名です」との説明を受けました。 フランスは世界一の観光立国で、8473万人の観光客を集めます。
「日本は世界一の観光国家になるべきだ。そのためには、自然の景観が美しいだけではいけない。すばらしい町並み、すばらしい施設、すばらしい環境を持つ国にしなければならない」
松下幸之助
日本の観光客が1400万人になったと喜んでいますが、フランスに較べるとまだまだだです。タイの2655万人にもはるかに劣ります。
平和記念講演を訪問しました。欧米人観光客が平和の祈りの前で列をなしていました。戦後70年で日本ではともすれば風化することもある「平和への祈り」が、70年立って、世界に浸透してきたようです。
外国人が「行きたい」と思う条件は「気候」「自然」「食事」「文化」といわれます。
広島は瀬戸内式気候で晴れの日が多い「気候」です。「自然」宮島に見るが如く、海と島の調和が取れています。「食事」は海の幸が豊富で「お好み焼き」もあります。そして、「文化」が70年戦争をしてこなかった「平和国家日本の象徴」と言うことなのでしょう。
 日本の文化は、京都の寺社、茶道からアニメ、マンガなどありますが、「70年間戦争をしなかった平和国家日本」というイメージも重要になると思います。日本人がスイスに抱くイメージのようなものを世界に根付かせられればいいのにと考えた広島でした。
(写真は 日仏友好150周年のポスターより)広島 宮島 モンサンミッシル

襟裳の夏は「世界一の夏」です!

十年以上前、プロジェクトXで「襟裳岬に春を呼べ」を見た。砂漠化した襟裳岬を四十年かけて復活させるドラマだった。それ以来、一度襟裳岬を訪問したかった。
札幌からバスで3時間半。バスの終点まで、友人が車で迎えに来てくれた。そこから一時間。襟岬の海は青く、水産業を営む友人の息子さんは後を継ぐために東京から帰ってきて修行中という。
襟裳岬の海はかつて真赤だった。寒さを凌ぐため、森の木を切ってしまい、砂が流れ込んだからだ。特産の昆布も泥まみれになった。
「山が荒れると、海も荒れる」と、襟裳の海を復活させるために、200ヘクタールの植林を始めた男たちがいた。昭和28年のことだった。
昭和49年、森進一の「襟裳岬」は「襟裳の春は何もない春です」と歌い、襟裳岬は全国的に知られた。男たちは、「何もない春」という歌詞に怒りすら感じた。植林は男たち、妻、子供たちも参加して続けられた。
平成4年、荒地のほとんどかクロマツの若々しい森に変わった。海も青くなり、クロマツ林の腐葉土から運ばれた栄養分が襟裳の昆布を蘇らせた。 男たちは、「襟裳の春は世界一の春です」と歌った。
それから20年余。襟裳岬は緑の地となっていた。豊かな海はゼニガタアザラシの生息地でもある。
記念写真は、襟裳で水産業を営む友人と、その息子さん。東京で仕事していたが、襟裳に帰ってきたという。夜の会食のときも「明日は昆布漁があるかな。波がつよいからないと思うのですが」としきりに気にしておられた。仕事があるとお酒も控えめにしなければならないからだ。

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襟裳の皆さんとカラオケをした。私が替え歌で歌った。「襟裳の夏は『世界一の夏』です」

 地元の人々が地域の復興を真剣に考え、挑戦し続ければ、若い人も帰ってくる。地方に未来はある。そんなことを考えた襟裳岬であった。

豊かな安城は「ナンバー1」をめざせ!

政治家時代の地元である愛知県安城市のライオンズクラブに講演で呼んで頂きました。
懐かしい顔がたくさんありました。お茶を出してくださった女性が「議員時代にお会いしたことがあります。お久しぶりです」などと言われ、「ふるさとは暖かい」を実感しました。

消滅可能性都市をレポートした「地方消滅」がベストセラーになり地方都市が危機感を強めていますが、ここ安城は別格。都市が消滅するという根拠は若い女性が少ない、結婚しないということですが、安城の若年者有配偶率は68.3で全国8位、合計特殊出生率は1.75で全国57位。自動車産業の繁栄もあり、結婚して子供を育てる若いカップルが住みやすい地域となっています。新幹線の三河安城駅でも若い女性、カップルの元気な姿が目立ちました。

ただ、「ふるさと」だから申し上げると、安城はソフトバンクが買収する前のボーダフォンに似ているような気がしました。その頃のボーダフォンは、NTTドコモさん、KDDIさんに続いて第三位。Bクラスに甘んじるプロ野球チームのようにそこそこの豊かさに安住し、覇気がありませんでした。

そのボーダフォンが「ナンバー1って楽しい」という文化を持つソフトバンクグループの一員となります。それまでずっと3位だった純増が2007年5月にはじめて純増1位になります。いったん、1位になると発想が変わります。やればできると自信がつく。1位じゃないと気持ちが悪くなる。勝ちグセがつく。それがソフトバンク、飛躍のターニングポイントでした。

「ふるさと」安城はいい都市ですが、なにか名古屋があって、豊田・岡崎があって、三番目でいいやと思っているところがあるような気がします。

どんな分野でもいいから、知恵を使ってナンバー1をとる。一番がホームポジションになるとそこでないと気がすまなくなる。いい波及効果を持ってすべてが成長するという「飛躍への軌道」に乗ることができます。豊かな「ふるさと」安城だから、ぜひ頑張って欲しいと思います。

講演におよびいただいたライオンズクラブのT会長はロボットに興味をお持ちでした。ソフトバンクが取り組んでいるペッパー君は、人工知能(AI)を搭載する120cm程度の人型ロボット。喜びや悲しみといった感情を数値化し、感謝されたことは「良いこと」、叱られたこ とは「悪いこと」として学習していきます。家庭や店舗、会社などで動くペッパーが数値化した感情はクラウドベースで「集合知」として共有されるため、加速度的 に進化していきます。介護、教育など用途は無限大です。

いずれ、ロボットが日本の主力産業になるかもしれません。そのときは自動車産業で発展したこの地域が、ロボット産業のメッカに進化しているかもしれません(?)

 

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三河安城から新幹線に乗るとき、「サライ」の歌詞がうかびました。
「桜吹雪のサライの空へ いつか帰る いつか帰る きっと帰るから」

今こそ、山田方谷のイノベーションに学べ・・岡山政経塾で講演

岡山政経塾で講義させていただき、足を伸ばして司馬遼太郎の小説「峠」で越後長岡藩の河井継之助が尋ねた幕末の陽明学者、山田方谷の城下町、高梁を訪れました。

岡山政経塾は松下政経塾の地域政経塾からスタート。その後も「岡山から地域を変える」という志を掲げて活動しておられる。講義の最初と最後には全員が起立して礼の挨拶をされるなど、ふだん教えている大学ではない凛とした空気に身が引き締まるのを感じました。

岡山のイチゴを全国的にしようと努力していたり、吉備高原で再生エネルギーに挑戦しようとしている人がいたり、地域から日本を変えようとしている姿に感銘しました。

山田方谷は、幕末の西郷隆盛や吉田松陰に影響を与えた陽明学者佐藤一斎塾の塾頭を務めたあと、郷里である備前松山藩五万石、板倉勝静(かつきよ)の元締役(藩の財務大臣)に抜擢され財政改革を成し遂げた人です。

五万石と言われながら実質は二万石。十万両の借財にあえいでいた「貧乏板倉」を七年で蓄財十万両、正兵五百、農兵隊千二百を持ち、実力二十万石とも三十万石とも評価される富国強兵藩に変身させたのが山田方谷です。

その成功が評価され、主君板倉勝静は老中となり、方谷も政治顧問に就任。幕政に関与することになります。財政改革者としての方谷に諸藩の重役がアドバイスを求めたといわれます。

財政改革というとケネディ大統領が尊敬する日本人としたことで一挙に有名になった上杉鷹山が有名です。私は上杉鷹山の改革が五十六年かかったのに対し、山田方谷の改革は七年でできたという意味で、現代の日本は方谷をより学ぶべきだと思っています。政策にはスピードが大事です。

さらに注目すべきは緊縮策だけでなく、産業振興も同時に行ったことです。 備中鍬(ぐわ)という先が三本に分かれている鍬を使い、幼き頃「畑うち」をしました。普通の鍬より子供の弱い力でも深く入ったことを覚えています。これが、山田方谷の産業振興策で生まれ、全国に普及したものだと聞いて驚きました。

全国に普及し、今も使われるロングセラー商品が山田方谷のイノベーション施策で生まれたわけです。

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岡山政経塾の塾生たちがそれぞれの場で活躍し、岡山を飛躍させるとともに、100年先にも使われるようなイノベーションを生み出すことを期待します。

司馬遼太郎「街道を行く」と二十二年ぶりの八戸

青森県八戸で二十二年ぶりに講演させていただいた。

司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で「どこかの天体から人がきて地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした。」と絶賛したのが八戸である。八戸港を擁した八戸市街を見るととても24万の人口とは思えない風格がある。

22年前と言うと私が30代。熊本県知事出身の細川護熙氏が総理となったこともあり、「中央集権から地域主権」へという胎動があった。私も、松下政経塾の研究所長として、「地域から日本を変える運動」に邁進しており、全国の青年会議所を中心に講演に呼んでいただいており、その一環として八戸で講演させていただいたのだ。

22年ぶりにそのころの「青年」にお会いした。皆、地域経済を支え、八戸のまちづくりに尽力された方たちである。市会議員の方もおられた。青年会議所の幹部が商工会議所の幹部になっておられた。

お昼は、地産地消、八戸の魚介類を使ったブイヤベース。夜は、国の重要無形文化財「えんぶり」を拝見しながら、B級グルメグランプリのせんべい汁。さすがに地域主権フォーラムを22年前に行った八戸で「まちおこし」も見事なものと堪能させていただいた。

22年前、地域主権フォーラムで紹介した明治の文豪徳富蘆花の言葉を思い出した。
「英仏の例を見ると、国家の実力というものは地方に存在する。地方の血液が新鮮であれば、国は元気旺盛である。・・都会に汚されずドシドシ健全な血液を都会に送るのは地方の責任で、ことに地方有志家の責任である」

八戸が益々奮起され、日本に刺激を与えてくれることを願うものである。

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なお、青森では南部美人か津軽美人かの論争があるそうだが、写真は「南部美人」の皆様である。