「出生数80万人割れ」を歴史的に考える
2022年の国内の出生数が80万人割れとなったことが話題になっています。前年比5.1%減の79万9728人。80万人割れは、統計を取り始めた1899年以来初めてで、想定より11年早く少子化が進みました。
自然減は78万2500人。山梨県が80万人でほぼ同じと報道されていますが、山梨県の人口は47都道府県中41位。以下、佐賀県(80万)、福井県(75万)、徳島県(70万)、高知県(67万)、島根県(66万)、鳥取県(54万)です。毎年、これらの県が消えてゆくということになります。
〇明治維新の頃、日本人口は3300万人
講演でもよくお話しますが、私は「困った時ほど遠くを見よ」とし、「歴史を鏡」として長期的に歴史で考えるようにしています。
明治維新の頃の日本の人口は3330万人でした。それが2010年には1億2800万人と約150年間で1億人増えます。この間は日本の人口激増期でした。つまり、特別な時期だったのです。
日本の人口は2050年に9500万人になると言われています。ドイツが80年代に1.2であった出生率を1.5にしたとして「小さな奇跡」と評されています。そのドイツの面積は35.7万平方キロと38万平方キロの日本とほぼ同じ。ところが、人口は8177万人です。2050年の日本は今のドイツよりも人口が多いのです。
〇江戸時代の男性未婚率 46%
応仁の乱の頃(1467-1477年)、人口は1000万人でした。この時代は、結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られていて、使用人などの隷属農民たちは生涯未婚が多かったのです。
武田信玄など戦国大名の規模の大きな領内開発で、経済が発展します。小農民が自立すると、皆が結婚する「皆婚社会」化によって出生率が大きく上昇しました。大河ドラマで「どうする家康」を放送していますが、関ケ原の戦い(1600年)の頃、人口は1700万人に増加しました。
江戸時代も皆婚化が進みます。現在の中津川、馬籠の近くである信濃国湯舟沢村に記録が残っています。それでも、1675年、男の未婚率は全体で46%でした。
それが、1771年時点で、男の未婚率は30%にまで下がります。この傾向は日本全体に及び、人口は3000万人を突破します。ほぼ倍増したのです。ちなみに2022年の男性未婚率は28.3%ですからその頃と同じです。
〇人口停滞の原因は三極集中
その後、人口は停滞します。明治維新までの150年間、3300万人と1割しか増えません。
この人口停滞の原因は江戸、京都、大阪への三極集中であると言われてています。一極集中の結果、衛生環境が農村より極めて悪くなり、都市=アリ地獄とも言われました。
また、現在と同様に都市では長屋に住めればいい方で、住環境も悪く、家族を持つことは困難になり、出生率が下がってゆきます。
カリフォルニア・バークレー校の教授で、日本研究センター所長のトーマス・スミスの調査によると、三都や多くの城下町は江戸時代後半に人口規模を縮小させたと立証されています。つまり、三極集中が住環境悪化、未婚化の上昇、人口停滞を招いたのです。
現在にあてはめると東京一極集中が人口停滞を招いているということでしょう。
〇寛政の改革にあった地方移住政策、人口回復政策
コロナ禍で働き方が変わり、地方への移住を考える人が多くなり、いくつかの地方移住政策が喧伝されています。
1787年、田沼政治を否定し、老中首座となった白川藩主、松平定信が寛政の改革を断行します。天明の飢饉の際にも領内から餓死者を出さなかった藩政改革の手腕を買われ、期待をもたれての就任でした。
定信が行ったことの第一が、江戸に流入した農村出身者の帰農を奨励する旧里帰農令。国への旅費・食料、農具代などの補助金も出すというもので、地方移住策に似ています。
さらに、「間引き禁止」と養育資金給与などで人口回復策をとりました。養育資金給与など国会で議論されている「児童手当倍増」に似ていると思います。
また江戸、石川島に職業教育の為「人足寄場」を創りました。これも「リ・スキリング」に似ています。
これらの施策は直接的にはどれもうまくいきませんでした。ただ、定信が行った文武奨励策は長期的に効果を発揮します。
天明期(1781-1789年)に全国で寺子屋が普及します。江戸では一町内に3から4軒ありました。農村でも読み書きソロバンを教えました。「読み」を覚えた農民は農作物の栽培方法、家畜の飼育方法の書かれた「農業全書」を読むようになり、生産性が上がります。
これからなら、読み書きソロバンに変わって「読み書き(英語)AI」が全国に広がることが必要でしょう。大学入試科目にAIでもいれれば、日本のことですから一気にAI大国になると思います。
さらに、文武重視の寛政の時代は「名君の時代」でもありました。ケネディ大統領も尊敬した米沢藩主上杉鷹山や、老中を辞めた後、白川に戻った松平定信は藩経済の改革、今でいう「地場産業おこし」を進めます。これも全国に広がり、明治以降の経済発展につながります。今、多くの国会議員経験者が市長となり、改革を進めています。期待しております。
〇「適疎」の国土政策を
明治の最初に「これから日本の国土に1億人増える」と言われたら、皆、不安になったでしょう。答えが出せるリーダーはいなかったと思います。
しかし、なんとかやってきたのが日本ですから、これからどんどん人口が減っていってもどこかで反転させるか、新しい国土の在り方を考えて乗り切っていくのが日本人ではないかと思っています。
コロナにより働き方も変わったのですから、これを好機と捉え、落ち着いて国土政策を考えることが、長期的に見て人口回復策につながると思います。
その一つの考え方が、「過疎過密」でなく「適疎」、適切な疎というところです。日本の人口密度は332人でG7中トップ。2位のイギリスが276人、3位のドイツが233人です。フランスは5位で118人。つまり、日本は先進国の中で過密なのです。フィリピンが日本とほぼ同じの357人です。
イギリスやドイツの人口密度が「適疎」でそれが美しい街並みにつながっていると思います。人口減少の視点を変えて、これからは「適疎」な国土政策を展開する。それが長期的に見れば、住環境を変え、地方を活性化させ、人口を回復させることになると思います。
特に、これを担う地方のリーダー、経営者の役割は重要です。明治時代の文豪、徳富蘆花は「英仏の例を見ると、国家の実力というのは地方に存在する。地方の血液が新鮮であれば、国は元気旺盛である」と語っています。私も全く同感です。
日本を代表する企業であり、日本時価総額第一位のトヨタが転換期を迎えようとしています。「三河モンロー主義」を脱し、「世界のトヨタ」に育てあげた名誉会長の豊田章一郎氏が97歳でご逝去なされました。2009年から14年間トヨタ社長をつとめた豊田章男氏が4月1日より社長から会長となり、53歳の佐藤執行役員が社長に就任します。
佐藤新社長は、「EVファースト」を掲げ、世界に遅れをとったEV化路線へ大きく舵を切ろうとしています。EV向けに最適化したテスラの1台あたり純利益はトヨタの5倍強。中国EV大手BYDもトヨタに迫ります。その道は決して平たんでないナローパスですが、トヨタが変わらずに繁栄をし続けるには、変わらざるを得ないでしょう。
しかし、変わらず継承してほしいものがあります。トヨタの遺伝子に刻み込まれた「豊田綱領」とそれによって築かれた「日本型パーパス経営」の思想です。
〇日本型パーパス経営と豊田綱領
2月初旬、トヨタグループの有力会社から講演にお招きいただきました。いただいたテーマは、「日本型パーパス経営と飛躍の経営戦略」というものでした。
パーパス経営とは2020年にビジネスラウンドテーブルが「企業は株主だけでなく、従業員、取引先企業、地域社会、地球関係などの利益に配慮すべきである」「企業は自社の利益の最大化だけでなく、パーパスの実現を目指すべき」というものです。ステークホルダーに目を向けて経営すべきという意味でステークホルダー主義とも言われます。
1990年代から21世紀初頭に市場経済重視、新自由主義を旗印とするノーベル賞経済学者、ミルトン・フリードマンが提唱した、「フリードマン・ドクトリン」が一世を風靡しました。「企業経営者の唯一の使命は株主利益の最大化であり、社会的責任を取らないでもたらされる利潤の最大化は善である」というものです。パーパス経営は「フリードマン・ドクトリン」を否定します。
パーパス経営を2021年のダボス会議が取り上げ、注目されたころ近江商人の「三方良し」こそ日本型パーパス経営だといわれました。「売り手良し、買い手良し、世間良し」というものです。
講演の準備をしている中で、豊田創業家がまとめた行動指針、「豊田綱領」を拝見しました。要約すると「自分の為、会社の為ということを超えて、『お国の為、社会の為』となれているかどうか。この価値観を全員が共有できているか」というもので、章一郎氏も常にこれを意識し、章男氏や次期社長の佐藤氏に引き継いだとされています。
豊田綱領を見ながら、これこそパーパス経営の思想そのものではないかと思いました。
〇フリードマン・ドクトリンの負の遺産がGEを没落させた
GEは1892年、エジソンが創業し、単なる企業ではなく、米国そのものを代表する企業でした。GEは米国の成長と共に成長し、時代と共に進化し、創業以来最大の力を蓄えて21世紀に歩を進めました。2000年のピーク時には、米国で最も価値のある企業となり、その企業価値は6000億ドルに迫りました。
その推進役だったのが、フォーチュンで「20世紀最高の経営者」に選ばれたジャック・ウェルチです。「市場で1位か2位になれる事業だけに集中すべき」という「選択と集中」経営戦略は当時、もてはやされました。しかし、歪みも大きかったようです。
ジャック・ウェルチは、「フリードマン・ドクトリン」を地で行くような利益と株価を最大限に追求した経営を行いました。当時のGEでは業績目標がまず決められ、どうやってそれを達成するかは二の次でした。目標達成はあらゆる手段を正当化しました。目標達成に必要な数字が各事業に割り振られ、方法はどうであれ、数字を達成することが厳しく求められました。
利益を上げるためにウェルチは徹底的な人員整理を行いました。彼はCEO在任中に全社員の4分の1にあたる10万人以上の社員を削減しています。
ウェルチは環境問題に対しても消極的でした。自社工場の廃棄物が原因となったハドソン川のPCB汚染問題では、土壌汚染を浄化する費用で政府と激しく対立します。自社の利益を優先する不誠実な姿勢に対して社会から強い批判を浴びています。フリードマン・ドクトリンを体現する経営だと言っても過言でないでしょう。
社外取締役を務めていると、この思想に影響を受けた、かつての「大企業役員経験者」に時々遭遇することがあります(笑)。
ウェルチの後任CEOのジェフリー・イメルトには私も何度かお会いしました。初対面の時、Senior Vice President of CEO officeという私の名刺を見て、「孫さんのもとでやるのは大変でしょう」と明るく、孫社長にも聞こえるように大きな声で話されていました。
ジェフリー・イメルトは、ウェルチのフルードマン・ドクトリン経営がもたらした「負の遺産」に悩まされます。
稼ぎ頭だったGEキャピタルはリーマンショックの打撃をもろに受け、大量の不良資産を抱え込みます。その結果、GEは深刻な経営危機に陥ります。
社員のモラルも下がっていました。上司が部下のパフォーマンスを評価し全社員をランク付けする「ランク・アンド・ヤンク」という制度を導入し、毎年下位10%にあたる社員が解雇されました。社員は常に競争意識をあおられ、強いプレッシャーとストレスを受けていました。
イメルトはデジタル事業に注力することでGEを再生しようとしました。しかし、結局、金融事業の代わりになるほどの成果は生み出せず、社員からの協力も得られないまま退任します。
GEは2024年までに電力、医療機器、航空エンジンの3つの事業会社に分割され、それぞれの会社が株式を上場する計画です。アメリカきっての名門企業はあえなく解体となり個々に再起を期すことになったのです。(「GE帝国衰盛史」ダイヤモンド社を一部参考)
〇「志魂商才」のススメ
日本資本主義の父と言われ、来年から新一万円札の顔になる渋沢栄一は、世の中に役に立つという武士道と商才の融合が必要と「士魂商才」を唱え、志の書「論語」による経営を勧めました。21世紀の日本企業は一歩を進め、「志魂商才」による経営を進めるべきと思います。
松下幸之助は昭和7年、37歳のとき「物資を水道の水の如く、安価無尽蔵に供給して、この世に楽土を建設することが使命である」としました。貧乏を克服する「水道哲学」を経営の「志」としました。「志魂商才」の魁と言ってよいでしょう。
企業にとっての「志」とは「会社」の枠組みを超え、社会、国家、世界をいかに変え、貢献するかというものです。
幸いに、ミッションからパーパスへの動きの中で、「志魂商才」をとなえる企業も増えてきました。
ジェームズ・コリンズの著書で日本唯一のビジョナリーカンパニーとされたソニーは「ユーザーの皆様に感動をもたらし、人々の好奇心を刺激する会社であり続ける」という旧ミッションを、「クリエイティビティとテクノロジーの力で世界を感動で満たす」にしました。
サイバーエージェントは「21世紀を代表する会社を創る」というミッションを基盤に昨年「新しい力とインターネットで日本の閉塞感を打破する」というパーパスを発表しました。
フリードマン・ドクトリンを脱し、日本型パーパス主義である「志魂商才」で経営をすすめる事が企業が長期的に飛躍し、日本経済が復興する道であると思います。
謹啓 立春の候 コロナを5月から5類にすると岸田総理が発表しました。もうそろそろ海外出張も良いだろうと思い、シンガポールで開かれたメガバンク主催の会で講演させていただきました。
2019年12月の中国深センでの講演以来ですから3年ぶりの海外出張。羽田空港での保安検査は今まで経験したことのないような長蛇の列で40分以上かかり、前途多難を思わせました。
ところが、シンガポール、チャンギ―空港ではすべてがデジタル化されており、極めてスムーズ。会場のマリーナ・ベイ・サンズのホテルに宿泊したのですが、50階の窓から見えるガーデンズ・バイ・ザ・ベイのイルミネーションショーも美しく、活気があり、港には多くの船が停泊し、シンガポールの勢いを思わせました。
〇シンガポールをライバルと思う首長を
シンガポール成功の原因は、政治のリーダーシップ、外資誘致、高度な教育制度の3つと言われます。
私が松下政経塾で学んでいた1980年代、松下幸之助塾長がリー・クアンユー氏にお会いしたということで、シンガポールについて話されたことがあります。
「各国の企業はどんどん来てください。10年間は無税ですよ。儲け次第です(笑)とやるから世界の企業が出てくる。税を取らない代わりに他人の力によって金も技術も持ってくる。そこへ建ったものはシンガポールの国のものですわな。持って帰ることができない。他人の力、他人の知恵で自分の国を立派にする。非常にうまいやり方です」
シンガポールの成功の要因の一つである外資誘致について述べたものです。シンガポールの外資誘致は成功しました。外資系企業は現在4000社に上っています。
面積は20年現在で728平方キロ。よく、東京23区の626平方キロと同じくらいと言われますが、1965年の独立時の581平方キロから埋め立てを進め、25%も国土が増えています。「明るい北朝鮮」といわれることもありますが、政治のリーダーシップが発揮されている証拠でしょう。
今年は統一地方選挙の都市です。シンガポールの人口は545万人で北海道517万人とほぼと同じです。神奈川923万人、大阪878万人は独立国といってもいい人口です。北海道も含め、いずれも3月23日告示、4月9日投票です。静岡、浜松など政令市長選挙も目白押しです。知事も政令市長も大統領制並みのかなりの権限を持っており、シンガポール並みの地域経営をすることも可能です。知事選で、シンガポールがライバルと思うような首長が当選され、日本全国で外資企業誘致競争が起きることを期待します。
〇シンガポール出島構想
世界の大学ランキングでは日本の東大、京大は国立シンガポール大学の後塵を拝しています。最新の英国、タイムズ・ハイヤー・エデュケーションのランキングによると1位がオックスフォード、2位がハーバード、シンガポール大学が19位です。東大は39位、京大が68位ですからかなり差をつけられています。
これに準じてでしょう。シンガポールにはAI革命などのパラダイムシフトに乗ったユニコーンが12社もあります。日本のユニコーンは10社しかありません(22年11月時点)。
今から5年前の2018年、時の安倍総理が未来投資戦略で2023年までにユニコーン20社という目標を立てました。私も大変期待していたのですが、達成率50%に終わりました。
岸田総理が2027年度までに「ユニコーン100社創出計画」を発表しました。スタートアップへの投資額を現在の8000億円規模からこれも5年後の2027年には10兆円規模と10倍増にすることをシンガポールでの講演でも話しました。でも、反応はかなり薄かったです。
考えてみれば人口545万人の国に12社のユニコーンがあるのですから、人口1億2000万人の日本なら100社あっても当たり前で、画期的な政策でも何でもありません。比率で言えば、200社あって当然ということになります。
岸田総理は海外における起業家拠点としての「出島構想」を発表しています。2027年までに起業家を1000人派遣する目標だそうです。シリコンバレー、ボストン、このところ成長著しく、テスラのイーロンマスクの住んでいるオースティン。イスラエル、北欧のほかにシンガポールも候補地として上がっています。
私はシリコンバレーや、ボストンよりもシンガポールのほうが日本人若手起業家の活躍できる可能性が高いと思っています。
その理由は第一にアメリカよりアジアの方が日本人のビジネス文化に会うこと。孫正義が投資に大成功したヤフーも場所はシリコンバレーでしたが、創業者はアジア人でした。もう一つのアリババも、中国、アジアです。
第二にシンガポールは日本とウィンーウィンの関係を作りやすい東南アジアのビジネスのハブであるということ。ウクライナ侵攻が長期化し、米中関係が悪化する分断された世界では、東南アジアが漁夫の利(?)を得て、成長の可能性が高いです。
第三の理由は、私のカンです。松下幸之助も孫正義も21世紀はアジアの時代と言っていました。2050年の世界のGDPランキングでは、1位中国、2位インド、3位米国、そして4位はインドネシアと予測されています。シンガポールは世界のGDP1位、2位、4位の国のビジネスハブになるのです。
多くの人が、シリコンバレーやボストンに行きたいと考えるでしょう。ただ私の周囲にいる若き起業家達には飛躍的に成功したいと思ったらシンガポールの「出島」を目指すべきと勧めています。
謹啓 大寒の候 富山県での講演にお招きいただきました。北陸新幹線「かがやき」の車窓から見る日本海は荒海でまさに「悲しみ本線日本海」でした。約3時間後、湘南に帰り海へ行ったら、穏やかで太陽がキラキラと輝いていました。湘南にいると、人生観がずいぶん楽観的になることを実感しました。
〇ダボス会議の見通し、悲観から楽観へ
1月20日まで、スイスではダボス会議が開催されていました。今年のテーマは「分断する世界での協力」。世界から集まった2700人の政財界のリーダーの予測は悲観から楽観に変わりました。23年後半からよくなり、24年はもっと良くなるという予想です。
孟子にある「天下の英才を集めて教えることは君子の楽しみ」にならって、30代の将来有望な若手経営者のアドバイザーを何人かしております。彼らには、世界の動き、グローバルな視野を得るために、ダボス会議に参加することを進めています。
日本からは、河野太郎大臣、西村経済産業大臣ら議員の中で、自分は英語ができると思っている人(笑)が出席しています。敷居が高いと思われがちですが、日本からも若手経済人が参加しています。そこで、アドバイザーをしている若手経営者に進めている次第です。
今回注目されたのは、ゼロコロナ政策を転換した中国です。中国の経済運営を指揮する劉鶴(リュウ・ハァ)副首相は講演前に深々と聴衆にお辞儀をしました。珍しいことです。
「懸命に努力すれば、経済が正常化する可能性は高いと確信している」とし、「23年には著しく改善するだろう」と強調しました。
国際通貨基金のゴピナート筆頭副専務理事は、IMFが経済見通しを上方修正することを示唆しました。2023年は「前年より厳しい年」ではなく、むしろ年後半から24年にかけて「改善」が見込まれるとしました。
アメリカ、バイデン政権が総額3690億ドル(約48兆円)を投じて国内のグリーン投資を活性化する「インフレ抑制法(IRA)」も世界的に、評価されています。オーストラリアの自然エネルギー事業者、マーク・ハッチンソンCEOは、IRAに盛り込まれた税優遇措置は「非常に大きい」とし、「米国事業に可能な限り投資資金をつぎ込むつもりだ」と語りました。
昨年5月の総会では、ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン出席でわきました。今回も同じだったのですが、空席も目立ち、5月にはあった聴衆総立ちのスタンディングオベーションもなかったとのことです。ウクライナ問題に「疲れ」が出てきてもいるのでしょうが、冷静さを取り戻しているのも事実です。
〇韓国の30代経営者、毎年ダボスに
ソウルの汝矣(ヨイド)島に63ビルという地上60階の黄金色の高層ビルがあります。これは韓国の財閥、ハンファグループ所有なのですが、私は3年前からハンファグループの自然エネルギー事業を展開するハンファソリューションの取締役をしています。私の著書が韓国で出版され、ハンファグループの社長会で講演。その後、ハンファのオーナー一族の長男で、まだ30代のK副社長から取締役(社外)として招聘されるという韓国ドラマのような展開でした。
そのハンファソリューションがバイデン政権のグリーン投資活性化策を活かし、アメリカ、ジョージアに3300億円の太陽光パネル投資をすることを1月11日の取締役会で決定しました。この決定には、バイデン大統領自身が声明を出すという歓迎ぶりでした。このプロジェクトを実質上主導しているのが30代のK副社長です。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN11E0W0R10C23A1000000/
K副社長は、ハーバード大学卒。儒教文化圏である韓国で教育を受け、徴兵制のある韓国ですから、軍隊で訓練も受けているので、年長の私にたいへん礼儀正しい人でした。そして、ダボス会議には毎年参加して世界の動きを予想しているとのことです。
K副社長がダボス会議に参加しながら、グリーン投資の重要性とアメリカ、ホワイトハウスの動きをつかみ、今回の投資を進めたことは間違いありません。蛇足ですが、K副社長は後継者候補の一人ですので、このプロジェクトが成功すればその道を一歩進めることになるでしょう。
1人当たりのGDPで日本が韓国に抜かれる日も近いと予想されています。韓国の繁栄を素直に見なくてはいけません。そして、若手経営者が毎年ダボス会議に行ってグローバルに行動し、見識を高めている事実も素直に見るべきです。
このメルマガを読んでいただいている若手経営者の方、あるいは後継者を教育しようとしている方はぜひともグローバルな視野を持ち、研鑽の在り方を考えていただきたいと思います。
そして、第一歩としてダボス会議には毎年参加するか、少なくとも議論を注目し、世界の動き、トレンドをつかんでいただきたいと思います。
謹白
本年は世界的にはインフレの抑制と成長の両立がテーマになります。
インフレ抑制の為に金融政策で金利を上昇させ供給を増加させ、成長を促進する為に時代を拓くイノベーションを促進することが重要になります。
1月5日、京都を本社とし、1年前に上場された会社の23年初出社式の講演にお招きいただき京都に行ってまいりました。
90年代生まれの若い人たちが多かったので、3年後の2025年には人間の労働量とロボットの労働量が同じになること。以前は、入社時にソロバン3級が必要だった。それが電卓になり、パソコンになりエクセルが使えないと仕事ができなくなったようにAIを使いこなせないと仕事ができなくなる。2025年までには世界で8500万人の雇用が無くなり、AIの専門家など9000万人の雇用が生まれるという話をしました。
AIを使いこなすには、ビジネス力、データサイエンス力、データエンジニア力のスキルセットが必要です。スマホ革命の時代に、スマホをおもちゃのように使い倒したところから、イノベーションが生まれたように、若い人がAIを使い倒すところからイノベーションが生まれます。
〇日露戦争勝利の因は海底ケーブル
会場のウェスティン都ホテル京都から「朝がゆ」で有名な瓢亭に向かって歩くと「無鄰菴」という山縣有朋の別荘があります。東山を主山とし、琵琶湖疎水からとった瀬音が楽しめる素晴らしい庭があり、茶室と洋館が立っています。
この洋館で、1903(明治36)年4月21日に日露戦争直前の日本の外交のゆくえを決める歴史的な会合が開かれました。出席者は枢密院議長伊藤博文、外務大臣小村壽太郎、総理大臣桂太郎、そして元老山縣有朋です。
その前年1902年、日本は日英同盟を結んでいました。英国に対抗し、露仏同盟で連携するロシアとフランス。極東へのロシア勢力拡大は心配だが、南アフリカ戦争の後処理で手いっぱいだったイギリスは日本にロシアを抑え込ませるため、「栄光ある孤立」を捨て、小国日本と同盟を結びます。無鄰菴会議で日露戦争への方針が議論されました。その決断を促したのが日英同盟締結であったことは想像に難くありません。
この日英同盟は20年以上継続し、日本外交の基本となるとともに1904年に起こる日露戦争での勝利をもたらしました。実は、この勝利には「海底ケーブル」というイノベーションがありました。
当時の英国は海底ケーブルを引きまくっていました。さらには007で有名な(?)諜報機関とあいまって世界の機密情報を集めていました。日本にも海底ケーブルがひかれており、機密情報が即時に入手できたのです。
海底ケーブル事業は、特殊ケーブルの開発、巨大敷設舟の建造などリスク高い事業でした。世界に植民地をもっていたイギリスは果敢に挑戦し、世界の海底ケーブルを席巻したのです。バルチック艦隊がどこにいるのか、補給でかなり苦しみ、士気が落ちているという情報は逐次、日本に入ってきました。
日露戦争は情報戦でした。英国による海底ケーブル、さらにはその使用を可能にした日英同盟が勝利を小国日本にもたらしました。日英同盟は小さな企業が技術も信用も持った大企業とアライアンスを組むようなものだったのです。
〇今年こそ、AIとの新結合=イノベーションを
小さな企業が大きく飛躍するには、イノベーションに着目し、それを使いこなすことが必要条件です。イノベーションは日本では「技術革新」と訳されますが、シュンペーターが
述べたのは、既存事業+テクノロジーで「新結合」を生むことでした。
Amazonは従来からあった、通信販売をインターネットと新結合=イノベーションした事で飛躍しました。サイバーエージェントは、広告業界でまだ発展途上だったネット広告に特化したことで、一時期、時価総額1兆円企業になりました。広告をテレビでなくインターネットで流すという新結合=イノベーションに成功したのです。メルカリはこれも従来からあったフリーマーケットをSNSと新結合したことでユニコーンへ飛躍しました。
今、AIに十分取り組んでいる、成果が出始めていると実感して企業はほとんど無いでしょう。15年前、iPhoneが登場した直後に、スマートフォンの機能を使いこなしている企業が無かったのと同じです。
既存事業にAIというテクノロジーを新結合させる挑戦を始めていただきたいと思います。
そうすれば、3年後の2025年にはAIイノベーションで飛躍した企業として、日本経済をリードしていると思います。
講演にお招きいただき、ふるさと岐阜に行ってきました。11月の信長武者行列にキムタクが信長となり、岐阜市の人口を超える46万人が集まったことをニュースで見られた方も多いと思います。
織田信長の居城、岐阜城を仰ぎながら若き日に司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んで胸躍らせたことを思い出しました。
織田信長が凄いと思うのは、戦略目標を見失わずに一直線の最短ルートだけをとったことです。信長も恐れた武田信玄や上杉謙信が川中島で5回も戦っていたのは、天下を取るという意味では遠くの局地戦に過ぎなかったのです。
1934年6月23日に生まれた織田信長が歴史に躍り出る桶狭間の戦いは1560年、信長26歳の時でした。2代目経営者としてもかなり若いと言えます。
「天下布武」で自らのビジョンを明らかにしたのは1567年、織田信長33歳の時です。天下に武を敷き、天下を統一し、戦いのない平和な世のなかを創る。そのためには京都を抑えることが重要と見定めた信長は一直線に京都に結ぶ線だけを攻めました。
そして長期ビジョンの前に、短期的には小成功が必要と考えたのでしょう。明智光秀を介して、将軍家足利義昭を保護する立場となり、京都上洛を目指します。
1567年に稲葉山城の戦いで尾張、美濃の二か国を領して京都への道筋をつけた信長は近江の浅井氏とは妹、お市の方を嫁がせるというヨーロッパ、ハプスブルグ家並みの婚姻外交をします。
そして、将軍足利義昭を奉じ上洛、1568年に京都の東寺に入ります。織田信長34歳。天下布武のビジョンへの短期目標であった「京都上洛」はわずか1か年で達成されました。
〇長期ビジョンと短期目標の成功
天下布武のビジョンが当時の織田家には途方もない目標で、家臣にとっては現実味が薄かったと思います。しかし、わずか1年で「京都上洛」を果たしたことは、家臣たちに「天下布武」もできない目標でないと思わせたのでしょう。
はるかに高い戦略目標を掲げながら、短期的には小さな成功を果たすことが重要です。その後、織田軍団は怒涛の勢いで日本統一に向かいます。やはり、長期的なビジョンを掲げることが重要なのです。
残念ながら、1582年6月2日、織田信長は48歳で最後を迎えます。しかし、「天下布武」のビジョンは豊臣秀吉に引き継がれ、実現してゆくのです。
多くの経営者がビジョンを掲げます。最も重要なことは、ビジョンの戦略目標への一直線の最短ルートは何かを考えることです。次に重要なのは、社員らがこのビジョンなら実現できると思わせる事。そのためには最短ルートに上にある小さな目標を定め、スピード感をもって成功させることです。そうすれば、社員は腹落ちし、歩み始め、客観的には達成できなかったようなことが実現できると思います。年末年始のお休みには、ぜひともビジョン実現のための短期目標をお考えいただきたいと思います。
謹啓 大雪の候 講演で大阪にお招きいただき、久しぶりに大阪城に行ってきました。
宣教師たちが「コンスタンティノープル以東最大の要塞」といって讃嘆した秀吉時代の大阪城はベネチアやニューヨークのように、海から見た姿が最も美しかったそうです。
織田信長は「大阪はおよそ日本一の境地なり」と言い、早くからここに海内の中心を置こうとしました。
その構想を継いだ秀吉は、大阪を大明国を含めた東アジアの中心にしようとし、10万人を収容できる居城を造りました。私は豊臣秀吉の明るさと大風呂敷ともいえる構想力になんとも魅かれます。
その後、徳川幕府によって秀吉時代の大阪城は破壊され、その上に現在の大阪城の石垣が創られました。
松下政経塾時代の若き日、先輩塾生が松下幸之助塾長に質問しました。「織田信長は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』、豊臣秀吉は『鳴かせてみようホトトギス』、徳川家康は『鳴くまで待とうホトトギス』と言いました。塾長ならどう言われますか」
松下塾長は、少し考えられ、その塾生に答えられました。
「わしなら『鳴かぬなら、それもなおよしホトトギス』だな」
その場にいた私は、「なるほどこれが、今太閤とも呼ばれた松下幸之助の経営、人使いの極意か」とすごく納得したことを覚えています。
〇2025年
現在の天守閣は昭和6年に再建されたものです。その前に、1970年の大阪万博の際に「タイムカプセル」を埋めた場所があります。開けるのは5000年先の6970年。今から、5000年前というと、エジプト文明やメソポタミア文明の時期です。大阪城を選んだのは、歴史的場所であり、5千年後にも残っている可能性が高いからということです。
タイムカプセルは1970年万国博覧会の松下館に展示されました。なかには、ソロバンや、自動車センチュリー、新幹線の模型、文芸春秋、婦人公論や平凡パンチなどが入っています。松下幸之助塾長の、「5千年後の人類に送るメッセージ」の録音テープも入っています。1970年の万博は夢とロマンがありました。
万博には後の時代を創る新技術が出展されます。1853年のニューヨーク万博でエレベーターが出展され、後のニューヨークの摩天楼建設を可能にしました。1876年のフィラデルフィア万博では電話が出展されます。
1970年万博は「動く歩道」などがありましたが、注目すべきは「ワイヤレスホン」が出展されたことです。これが後の携帯電話につながり、スマホ革命を生みました。
2025年の大阪万博は、まだ盛り上がりに欠けているようですが、「世界で類を見ない自動運転の実験場になる」そうです。
今までの10年間、モバイルが我々の生活を変えてきました。これからの10年間はモビリティ(自動運転)が鍵となります。2025年大阪万博が日本と日本人に夢とロマンをもたらしてくれることを期待します。
謹白
謹啓 小雪の候
経済産業省の「未来人材会議」の発表したデータが注目されています。そこには「日本企業の部長の年収はタイよりも低い」「日本は高度外国人から選ばれない国になっている」とありました。
日本の部長の年収は平均44歳で1600万円、アメリカは37歳で3000万円。タイは32歳で2000万円だというのです。これは2019年のデータ比較ですから、円安の影響はありません。
英国の経済学者、リンダグラットンが「ライフシフト」で20代前半まで教育を受け、60代まで働き、その後引退という人生モデルは、人生百年時代には適さないと提言したのは今から7年前です。
彼女の提言の本質は第一に「国際競争が過激になり、世界中の労働者と競争することになる」。第二に「単なるジェネラリストの中間管理職は激減する」。その結果、「スキルを蓄積しようとしない国では労働者は低賃金で暮らすことになる」というものです。さらに、自分を2つ以上の専門性を持つように「ライフシフト」しなくてはならないというものです。
日本の人材投資(OJT以外)は、GDP比の0.1%。アメリカは2%です。さらに二つ以上の専門性を持つ人はほとんどいません。リスキリング(新知識を学ぶこと)も低調です。「日本の部長の年収がタイより低い」は自分に教育投資をしてこなかったという理由があるようです。
〇3年後、ロボットと人間労働量が同じに
コロナの行方はまだ見通せませんが、講演のご依頼をいただくことが多くなりました。
IOT、AIが進んでいるK製作所の管理職研修にお招きいただいたのですが、テーマの一つが「働き方」というものでした。
ダボス会議で有名な世界経済フォーラムは、ロボットの労働量が人間の労働量と同じになるのは2025年、3年後と予測しました。 DXによって世界で8500万人の雇用がなくなりますが、AIの専門家など9700万人の雇用が生まれます。世界全体で10億人のりスキリング(新知識を学ぶこと)が必要としています。
是非とも、IOT、AIが進んでいるK製作所がリスキリングなどを進め、時代に適合した「働き方」を実現してほしいと申しました。
昭和の時代、アメリカを視察した松下幸之助は「アメリカは週に2日休みにもかかわらず日本の10倍給料を払っている。それでも会社はもうけている。1人当たりの生産量が10倍だからだ」と驚きました。「一日休養、一日教養」で生産性を上げようと、松下電器(当時)が日本でトップランナーとして「週休2日制」を導入したのは1960年のことです。令和の時代には、K製作所がトップランナーになってほしいと思っております。
質疑の時間となりました。1人のリーダーが言われました。
「今、IOT、AI、自動運転などを導入して工場を大改革中です。改革が終わり完成したら是非、嶋さんに見に来てもらいたいです」
私も是非とも見せていただきたいと思います。謹白
謹啓 立冬の候
伊豆の山並みに夕日が沈むとき、相模湾が輝き茜富士がなんとも美しい湘南です。
2月24日からのウクライナ侵攻が長期化しています。2月時点でロシアに進出していた日本の上場企業168社のうち18社、約11%が撤退を決めました。
ただ、世界に目を向けると日本企業の撤退への経営決断の遅さが目立ちます。英国は47%、米国は28%の企業がすでに撤退をしています。全世界主要企業1300社のうち、23%にあたる300社、23%が撤退を決めており、日本は先進7か国中2番目に低い水準です。ちなみに最下位はイタリアでした。(エール大学調査)
撤退は進むよりも難しいものです。孫正義氏は「僕も何度も退却戦を経験しました。退却をするときは攻めるよりも十倍勇気がいるんです。マスコミにはめちゃめちゃ叩かれる。ジョイントの時はパートナーにも迷惑をかける。そこで一生懸命やっている部下たちもいる」と言います。
孫氏は後継者育成のソフトバンクアカデミアで「退却をやれるものだけが、リーダーとしての資質がある。意地でやるやつはバカだと思え。退却できない奴はバカだと思え。そんなケチな奴がリーダーになっちゃいけない」と激しく述べています。
中国の「左伝」に「可を見て進み、 難きを知りて退くは、軍の善政なり」とあります。「有利なら進めばいい。だが、不利と見たらいち早く撤退するのが、作戦の原則である」という意味です。2023年は世界全体がスタグフレーションに陥る可能性が高いです。経営に携わるリーダーたちは苦境事業の撤退を視野に入れる時期かもしれません。
〇撤退の上手いリーダーが天下を取る
私の著書「孫正義の参謀」(東洋経済)が中国語に翻訳されていることもあり、コロナ以前はたびたび中国に講演に招かれました。三国志の蜀の国、劉備玄徳本拠地で、諸葛孔明のお墓、武侯祠のある成都にもお招きに預かりました。講演での私の紹介は「孫正義の孔明」というもので、お土産に孔明がもっている羽で創った軍扇をいただきました。
ただ、私は孔明より、漢の高祖・劉邦の軍師、張良のほうが好きです。張良が座右の書とした「六韜三略」は私が戦略・戦術を考える際の原典となっています。私がソフトバンクに入る2005年10月、孫正義社長に「ソフトバンクの張良になりたい」という手紙を差し上げたことがあります。
劉邦は、ライバルの項羽と天下を争いました。 初めは戦うたびに敗れ、逃げ回ってばかりいます。そんな中で、じわじわと勢いを盛り返し、ついに逆転に成功します。劉邦が天下 を取れたのは、逃げ方がうまかったからだと思います。
中国史を紐解いていますと、 大きく勢力を伸ばして天下を取ったのは撤退のうまい人物 でした。 進むことを知って退くことを知らない、リーダーは、 ほとんど 途中で潰されています。 勝ち上がっていくのは撤退のうまいリーダーで、これには 一人の例外もありません。
戦略の「略」は略することを意味します。撤退によって余裕ができた人材、資金を重点分野に投入することは天下を取る「戦略」です。「撤退」は伸びる前に縮むこと。あくまでも天下を取るための戦略への準備なのです。
謹白