謹啓 大寒の候 富山県での講演にお招きいただきました。北陸新幹線「かがやき」の車窓から見る日本海は荒海でまさに「悲しみ本線日本海」でした。約3時間後、湘南に帰り海へ行ったら、穏やかで太陽がキラキラと輝いていました。湘南にいると、人生観がずいぶん楽観的になることを実感しました。
〇ダボス会議の見通し、悲観から楽観へ
1月20日まで、スイスではダボス会議が開催されていました。今年のテーマは「分断する世界での協力」。世界から集まった2700人の政財界のリーダーの予測は悲観から楽観に変わりました。23年後半からよくなり、24年はもっと良くなるという予想です。
孟子にある「天下の英才を集めて教えることは君子の楽しみ」にならって、30代の将来有望な若手経営者のアドバイザーを何人かしております。彼らには、世界の動き、グローバルな視野を得るために、ダボス会議に参加することを進めています。
日本からは、河野太郎大臣、西村経済産業大臣ら議員の中で、自分は英語ができると思っている人(笑)が出席しています。敷居が高いと思われがちですが、日本からも若手経済人が参加しています。そこで、アドバイザーをしている若手経営者に進めている次第です。
今回注目されたのは、ゼロコロナ政策を転換した中国です。中国の経済運営を指揮する劉鶴(リュウ・ハァ)副首相は講演前に深々と聴衆にお辞儀をしました。珍しいことです。
「懸命に努力すれば、経済が正常化する可能性は高いと確信している」とし、「23年には著しく改善するだろう」と強調しました。
国際通貨基金のゴピナート筆頭副専務理事は、IMFが経済見通しを上方修正することを示唆しました。2023年は「前年より厳しい年」ではなく、むしろ年後半から24年にかけて「改善」が見込まれるとしました。
アメリカ、バイデン政権が総額3690億ドル(約48兆円)を投じて国内のグリーン投資を活性化する「インフレ抑制法(IRA)」も世界的に、評価されています。オーストラリアの自然エネルギー事業者、マーク・ハッチンソンCEOは、IRAに盛り込まれた税優遇措置は「非常に大きい」とし、「米国事業に可能な限り投資資金をつぎ込むつもりだ」と語りました。
昨年5月の総会では、ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン出席でわきました。今回も同じだったのですが、空席も目立ち、5月にはあった聴衆総立ちのスタンディングオベーションもなかったとのことです。ウクライナ問題に「疲れ」が出てきてもいるのでしょうが、冷静さを取り戻しているのも事実です。
〇韓国の30代経営者、毎年ダボスに
ソウルの汝矣(ヨイド)島に63ビルという地上60階の黄金色の高層ビルがあります。これは韓国の財閥、ハンファグループ所有なのですが、私は3年前からハンファグループの自然エネルギー事業を展開するハンファソリューションの取締役をしています。私の著書が韓国で出版され、ハンファグループの社長会で講演。その後、ハンファのオーナー一族の長男で、まだ30代のK副社長から取締役(社外)として招聘されるという韓国ドラマのような展開でした。
そのハンファソリューションがバイデン政権のグリーン投資活性化策を活かし、アメリカ、ジョージアに3300億円の太陽光パネル投資をすることを1月11日の取締役会で決定しました。この決定には、バイデン大統領自身が声明を出すという歓迎ぶりでした。このプロジェクトを実質上主導しているのが30代のK副社長です。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN11E0W0R10C23A1000000/
K副社長は、ハーバード大学卒。儒教文化圏である韓国で教育を受け、徴兵制のある韓国ですから、軍隊で訓練も受けているので、年長の私にたいへん礼儀正しい人でした。そして、ダボス会議には毎年参加して世界の動きを予想しているとのことです。
K副社長がダボス会議に参加しながら、グリーン投資の重要性とアメリカ、ホワイトハウスの動きをつかみ、今回の投資を進めたことは間違いありません。蛇足ですが、K副社長は後継者候補の一人ですので、このプロジェクトが成功すればその道を一歩進めることになるでしょう。
1人当たりのGDPで日本が韓国に抜かれる日も近いと予想されています。韓国の繁栄を素直に見なくてはいけません。そして、若手経営者が毎年ダボス会議に行ってグローバルに行動し、見識を高めている事実も素直に見るべきです。
このメルマガを読んでいただいている若手経営者の方、あるいは後継者を教育しようとしている方はぜひともグローバルな視野を持ち、研鑽の在り方を考えていただきたいと思います。
そして、第一歩としてダボス会議には毎年参加するか、少なくとも議論を注目し、世界の動き、トレンドをつかんでいただきたいと思います。
謹白
本年は世界的にはインフレの抑制と成長の両立がテーマになります。
インフレ抑制の為に金融政策で金利を上昇させ供給を増加させ、成長を促進する為に時代を拓くイノベーションを促進することが重要になります。
1月5日、京都を本社とし、1年前に上場された会社の23年初出社式の講演にお招きいただき京都に行ってまいりました。
90年代生まれの若い人たちが多かったので、3年後の2025年には人間の労働量とロボットの労働量が同じになること。以前は、入社時にソロバン3級が必要だった。それが電卓になり、パソコンになりエクセルが使えないと仕事ができなくなったようにAIを使いこなせないと仕事ができなくなる。2025年までには世界で8500万人の雇用が無くなり、AIの専門家など9000万人の雇用が生まれるという話をしました。
AIを使いこなすには、ビジネス力、データサイエンス力、データエンジニア力のスキルセットが必要です。スマホ革命の時代に、スマホをおもちゃのように使い倒したところから、イノベーションが生まれたように、若い人がAIを使い倒すところからイノベーションが生まれます。
〇日露戦争勝利の因は海底ケーブル
会場のウェスティン都ホテル京都から「朝がゆ」で有名な瓢亭に向かって歩くと「無鄰菴」という山縣有朋の別荘があります。東山を主山とし、琵琶湖疎水からとった瀬音が楽しめる素晴らしい庭があり、茶室と洋館が立っています。
この洋館で、1903(明治36)年4月21日に日露戦争直前の日本の外交のゆくえを決める歴史的な会合が開かれました。出席者は枢密院議長伊藤博文、外務大臣小村壽太郎、総理大臣桂太郎、そして元老山縣有朋です。
その前年1902年、日本は日英同盟を結んでいました。英国に対抗し、露仏同盟で連携するロシアとフランス。極東へのロシア勢力拡大は心配だが、南アフリカ戦争の後処理で手いっぱいだったイギリスは日本にロシアを抑え込ませるため、「栄光ある孤立」を捨て、小国日本と同盟を結びます。無鄰菴会議で日露戦争への方針が議論されました。その決断を促したのが日英同盟締結であったことは想像に難くありません。
この日英同盟は20年以上継続し、日本外交の基本となるとともに1904年に起こる日露戦争での勝利をもたらしました。実は、この勝利には「海底ケーブル」というイノベーションがありました。
当時の英国は海底ケーブルを引きまくっていました。さらには007で有名な(?)諜報機関とあいまって世界の機密情報を集めていました。日本にも海底ケーブルがひかれており、機密情報が即時に入手できたのです。
海底ケーブル事業は、特殊ケーブルの開発、巨大敷設舟の建造などリスク高い事業でした。世界に植民地をもっていたイギリスは果敢に挑戦し、世界の海底ケーブルを席巻したのです。バルチック艦隊がどこにいるのか、補給でかなり苦しみ、士気が落ちているという情報は逐次、日本に入ってきました。
日露戦争は情報戦でした。英国による海底ケーブル、さらにはその使用を可能にした日英同盟が勝利を小国日本にもたらしました。日英同盟は小さな企業が技術も信用も持った大企業とアライアンスを組むようなものだったのです。
〇今年こそ、AIとの新結合=イノベーションを
小さな企業が大きく飛躍するには、イノベーションに着目し、それを使いこなすことが必要条件です。イノベーションは日本では「技術革新」と訳されますが、シュンペーターが
述べたのは、既存事業+テクノロジーで「新結合」を生むことでした。
Amazonは従来からあった、通信販売をインターネットと新結合=イノベーションした事で飛躍しました。サイバーエージェントは、広告業界でまだ発展途上だったネット広告に特化したことで、一時期、時価総額1兆円企業になりました。広告をテレビでなくインターネットで流すという新結合=イノベーションに成功したのです。メルカリはこれも従来からあったフリーマーケットをSNSと新結合したことでユニコーンへ飛躍しました。
今、AIに十分取り組んでいる、成果が出始めていると実感して企業はほとんど無いでしょう。15年前、iPhoneが登場した直後に、スマートフォンの機能を使いこなしている企業が無かったのと同じです。
既存事業にAIというテクノロジーを新結合させる挑戦を始めていただきたいと思います。
そうすれば、3年後の2025年にはAIイノベーションで飛躍した企業として、日本経済をリードしていると思います。
講演にお招きいただき、ふるさと岐阜に行ってきました。11月の信長武者行列にキムタクが信長となり、岐阜市の人口を超える46万人が集まったことをニュースで見られた方も多いと思います。
織田信長の居城、岐阜城を仰ぎながら若き日に司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んで胸躍らせたことを思い出しました。
織田信長が凄いと思うのは、戦略目標を見失わずに一直線の最短ルートだけをとったことです。信長も恐れた武田信玄や上杉謙信が川中島で5回も戦っていたのは、天下を取るという意味では遠くの局地戦に過ぎなかったのです。
1934年6月23日に生まれた織田信長が歴史に躍り出る桶狭間の戦いは1560年、信長26歳の時でした。2代目経営者としてもかなり若いと言えます。
「天下布武」で自らのビジョンを明らかにしたのは1567年、織田信長33歳の時です。天下に武を敷き、天下を統一し、戦いのない平和な世のなかを創る。そのためには京都を抑えることが重要と見定めた信長は一直線に京都に結ぶ線だけを攻めました。
そして長期ビジョンの前に、短期的には小成功が必要と考えたのでしょう。明智光秀を介して、将軍家足利義昭を保護する立場となり、京都上洛を目指します。
1567年に稲葉山城の戦いで尾張、美濃の二か国を領して京都への道筋をつけた信長は近江の浅井氏とは妹、お市の方を嫁がせるというヨーロッパ、ハプスブルグ家並みの婚姻外交をします。
そして、将軍足利義昭を奉じ上洛、1568年に京都の東寺に入ります。織田信長34歳。天下布武のビジョンへの短期目標であった「京都上洛」はわずか1か年で達成されました。
〇長期ビジョンと短期目標の成功
天下布武のビジョンが当時の織田家には途方もない目標で、家臣にとっては現実味が薄かったと思います。しかし、わずか1年で「京都上洛」を果たしたことは、家臣たちに「天下布武」もできない目標でないと思わせたのでしょう。
はるかに高い戦略目標を掲げながら、短期的には小さな成功を果たすことが重要です。その後、織田軍団は怒涛の勢いで日本統一に向かいます。やはり、長期的なビジョンを掲げることが重要なのです。
残念ながら、1582年6月2日、織田信長は48歳で最後を迎えます。しかし、「天下布武」のビジョンは豊臣秀吉に引き継がれ、実現してゆくのです。
多くの経営者がビジョンを掲げます。最も重要なことは、ビジョンの戦略目標への一直線の最短ルートは何かを考えることです。次に重要なのは、社員らがこのビジョンなら実現できると思わせる事。そのためには最短ルートに上にある小さな目標を定め、スピード感をもって成功させることです。そうすれば、社員は腹落ちし、歩み始め、客観的には達成できなかったようなことが実現できると思います。年末年始のお休みには、ぜひともビジョン実現のための短期目標をお考えいただきたいと思います。
謹啓 大雪の候 講演で大阪にお招きいただき、久しぶりに大阪城に行ってきました。
宣教師たちが「コンスタンティノープル以東最大の要塞」といって讃嘆した秀吉時代の大阪城はベネチアやニューヨークのように、海から見た姿が最も美しかったそうです。
織田信長は「大阪はおよそ日本一の境地なり」と言い、早くからここに海内の中心を置こうとしました。
その構想を継いだ秀吉は、大阪を大明国を含めた東アジアの中心にしようとし、10万人を収容できる居城を造りました。私は豊臣秀吉の明るさと大風呂敷ともいえる構想力になんとも魅かれます。
その後、徳川幕府によって秀吉時代の大阪城は破壊され、その上に現在の大阪城の石垣が創られました。
松下政経塾時代の若き日、先輩塾生が松下幸之助塾長に質問しました。「織田信長は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』、豊臣秀吉は『鳴かせてみようホトトギス』、徳川家康は『鳴くまで待とうホトトギス』と言いました。塾長ならどう言われますか」
松下塾長は、少し考えられ、その塾生に答えられました。
「わしなら『鳴かぬなら、それもなおよしホトトギス』だな」
その場にいた私は、「なるほどこれが、今太閤とも呼ばれた松下幸之助の経営、人使いの極意か」とすごく納得したことを覚えています。
〇2025年
現在の天守閣は昭和6年に再建されたものです。その前に、1970年の大阪万博の際に「タイムカプセル」を埋めた場所があります。開けるのは5000年先の6970年。今から、5000年前というと、エジプト文明やメソポタミア文明の時期です。大阪城を選んだのは、歴史的場所であり、5千年後にも残っている可能性が高いからということです。
タイムカプセルは1970年万国博覧会の松下館に展示されました。なかには、ソロバンや、自動車センチュリー、新幹線の模型、文芸春秋、婦人公論や平凡パンチなどが入っています。松下幸之助塾長の、「5千年後の人類に送るメッセージ」の録音テープも入っています。1970年の万博は夢とロマンがありました。
万博には後の時代を創る新技術が出展されます。1853年のニューヨーク万博でエレベーターが出展され、後のニューヨークの摩天楼建設を可能にしました。1876年のフィラデルフィア万博では電話が出展されます。
1970年万博は「動く歩道」などがありましたが、注目すべきは「ワイヤレスホン」が出展されたことです。これが後の携帯電話につながり、スマホ革命を生みました。
2025年の大阪万博は、まだ盛り上がりに欠けているようですが、「世界で類を見ない自動運転の実験場になる」そうです。
今までの10年間、モバイルが我々の生活を変えてきました。これからの10年間はモビリティ(自動運転)が鍵となります。2025年大阪万博が日本と日本人に夢とロマンをもたらしてくれることを期待します。
謹白
謹啓 小雪の候
経済産業省の「未来人材会議」の発表したデータが注目されています。そこには「日本企業の部長の年収はタイよりも低い」「日本は高度外国人から選ばれない国になっている」とありました。
日本の部長の年収は平均44歳で1600万円、アメリカは37歳で3000万円。タイは32歳で2000万円だというのです。これは2019年のデータ比較ですから、円安の影響はありません。
英国の経済学者、リンダグラットンが「ライフシフト」で20代前半まで教育を受け、60代まで働き、その後引退という人生モデルは、人生百年時代には適さないと提言したのは今から7年前です。
彼女の提言の本質は第一に「国際競争が過激になり、世界中の労働者と競争することになる」。第二に「単なるジェネラリストの中間管理職は激減する」。その結果、「スキルを蓄積しようとしない国では労働者は低賃金で暮らすことになる」というものです。さらに、自分を2つ以上の専門性を持つように「ライフシフト」しなくてはならないというものです。
日本の人材投資(OJT以外)は、GDP比の0.1%。アメリカは2%です。さらに二つ以上の専門性を持つ人はほとんどいません。リスキリング(新知識を学ぶこと)も低調です。「日本の部長の年収がタイより低い」は自分に教育投資をしてこなかったという理由があるようです。
〇3年後、ロボットと人間労働量が同じに
コロナの行方はまだ見通せませんが、講演のご依頼をいただくことが多くなりました。
IOT、AIが進んでいるK製作所の管理職研修にお招きいただいたのですが、テーマの一つが「働き方」というものでした。
ダボス会議で有名な世界経済フォーラムは、ロボットの労働量が人間の労働量と同じになるのは2025年、3年後と予測しました。 DXによって世界で8500万人の雇用がなくなりますが、AIの専門家など9700万人の雇用が生まれます。世界全体で10億人のりスキリング(新知識を学ぶこと)が必要としています。
是非とも、IOT、AIが進んでいるK製作所がリスキリングなどを進め、時代に適合した「働き方」を実現してほしいと申しました。
昭和の時代、アメリカを視察した松下幸之助は「アメリカは週に2日休みにもかかわらず日本の10倍給料を払っている。それでも会社はもうけている。1人当たりの生産量が10倍だからだ」と驚きました。「一日休養、一日教養」で生産性を上げようと、松下電器(当時)が日本でトップランナーとして「週休2日制」を導入したのは1960年のことです。令和の時代には、K製作所がトップランナーになってほしいと思っております。
質疑の時間となりました。1人のリーダーが言われました。
「今、IOT、AI、自動運転などを導入して工場を大改革中です。改革が終わり完成したら是非、嶋さんに見に来てもらいたいです」
私も是非とも見せていただきたいと思います。謹白
謹啓 立冬の候
伊豆の山並みに夕日が沈むとき、相模湾が輝き茜富士がなんとも美しい湘南です。
2月24日からのウクライナ侵攻が長期化しています。2月時点でロシアに進出していた日本の上場企業168社のうち18社、約11%が撤退を決めました。
ただ、世界に目を向けると日本企業の撤退への経営決断の遅さが目立ちます。英国は47%、米国は28%の企業がすでに撤退をしています。全世界主要企業1300社のうち、23%にあたる300社、23%が撤退を決めており、日本は先進7か国中2番目に低い水準です。ちなみに最下位はイタリアでした。(エール大学調査)
撤退は進むよりも難しいものです。孫正義氏は「僕も何度も退却戦を経験しました。退却をするときは攻めるよりも十倍勇気がいるんです。マスコミにはめちゃめちゃ叩かれる。ジョイントの時はパートナーにも迷惑をかける。そこで一生懸命やっている部下たちもいる」と言います。
孫氏は後継者育成のソフトバンクアカデミアで「退却をやれるものだけが、リーダーとしての資質がある。意地でやるやつはバカだと思え。退却できない奴はバカだと思え。そんなケチな奴がリーダーになっちゃいけない」と激しく述べています。
中国の「左伝」に「可を見て進み、 難きを知りて退くは、軍の善政なり」とあります。「有利なら進めばいい。だが、不利と見たらいち早く撤退するのが、作戦の原則である」という意味です。2023年は世界全体がスタグフレーションに陥る可能性が高いです。経営に携わるリーダーたちは苦境事業の撤退を視野に入れる時期かもしれません。
〇撤退の上手いリーダーが天下を取る
私の著書「孫正義の参謀」(東洋経済)が中国語に翻訳されていることもあり、コロナ以前はたびたび中国に講演に招かれました。三国志の蜀の国、劉備玄徳本拠地で、諸葛孔明のお墓、武侯祠のある成都にもお招きに預かりました。講演での私の紹介は「孫正義の孔明」というもので、お土産に孔明がもっている羽で創った軍扇をいただきました。
ただ、私は孔明より、漢の高祖・劉邦の軍師、張良のほうが好きです。張良が座右の書とした「六韜三略」は私が戦略・戦術を考える際の原典となっています。私がソフトバンクに入る2005年10月、孫正義社長に「ソフトバンクの張良になりたい」という手紙を差し上げたことがあります。
劉邦は、ライバルの項羽と天下を争いました。 初めは戦うたびに敗れ、逃げ回ってばかりいます。そんな中で、じわじわと勢いを盛り返し、ついに逆転に成功します。劉邦が天下 を取れたのは、逃げ方がうまかったからだと思います。
中国史を紐解いていますと、 大きく勢力を伸ばして天下を取ったのは撤退のうまい人物 でした。 進むことを知って退くことを知らない、リーダーは、 ほとんど 途中で潰されています。 勝ち上がっていくのは撤退のうまいリーダーで、これには 一人の例外もありません。
戦略の「略」は略することを意味します。撤退によって余裕ができた人材、資金を重点分野に投入することは天下を取る「戦略」です。「撤退」は伸びる前に縮むこと。あくまでも天下を取るための戦略への準備なのです。
謹白