メールマガジン「嶋聡からの手紙」

リーダー、老年よ、大志を抱け 2023.8.30

いつのまにか、庭の木のセミの声が聞けなくなり、湘南海岸にはアキアカネが飛んでます。海岸を歩くと松下政経塾で過ごした青春時代を思い出します。サザンオールスターズの歌が流行っていました。

「あの頃の思い出がありこの夏も口ずさんでる『サザン』の歌を」

〇時価総額ベスト10企業が孫さん以来出ていない

8月21日からの1週間は夏休み明けということもあり、プライム市場の企業2つと上場を目指す企業2つの取締役会が行われました。社外取締役としては、議案を読み込むことは当然ですが、議案に関する世界の動向や事業報告に対する分析のために過去の数字トレンドを参考にすることもあり、時間を要します。

取締役会の中で、私と同じく社外取締役を務める四十代の経営者から興味深い発言がありました。「なぜ日本の起業家たちは30代や40代で上場し、数十億や数百億ほどの企業を創業して満足してしまうのか。日本の時価総額ベス10には、孫正義さん以来の企業が出ていない。残念だ」という趣旨の発言でした。この方も自身が上場を果たしており、政府の役職も務めており、若手経営者のリーダーの一人として非常に頼りにされている方なので大変頼もしく思いました。

現在の日本企業の時価総額トップはトヨタの39兆円です。2位はソニーの約15兆円、3位NTTも同じく約15兆円です。6位には柳井社長のファストリが10兆円、9位にはソフトバンクグループが9.6兆円となっています。

孫正義社長に続く21世紀の上場企業家としては、楽天の三木谷さんが1.1兆円で146位に位置しています。また、サイバーエージェントの藤田さんは4560億円で200位圏外になっています。確かに、「孫さん以来」の時価総額ベスト10に入るほどの大規模な経営者が登場していないのは事実です。

〇リーダーよ、大志を抱け

「少年よ大志を抱け」という言葉は札幌農学校の教頭、クラーク博士によって広く知られています。クラーク氏は教頭職にわずか8カ月間しか在任しませんでしたが、その間に内村鑑三や5000円札の新渡戸稲造など、偉大な教育者が輩出されました。

松下幸之助は、志は大きく持つべきだと考えており、「棒ほどの願い事を持ち、針ほどの願い事がかなう」と述べています。志を高く掲げ、大きな目標を抱くことで、一定の成果を得ることができるとの信念を持っています。逆に、最初から志を小さくし、目標を低く設定してしまうと、成功する可能性が低くなるとも述べています。マキャベリも彼の「君主論」の中で同様の考えを示しており、「遠くの的を射るためには、高い目標を設定すべきだ」と述べています。この考え方は興味深いものです。

例えば、楽天を創業した三木谷氏は1999年に創業し、現在は58歳です。一方、Amazonは1994年に創業されました。ジェフ・ベゾスは現在59歳であり、世界一の大富豪として知られています。サイバーエージェントの藤田氏は1998年に創業し、2000年3月には最年少社長として東証マザーズに上場しました。現在は50歳です。テスラは2003年に創業され、時価総額でトヨタを抜いている企業です。創業者のイーロン・マスクも世界一の大富豪として名高いですが、年齢は52歳です。

こうした事例を見ると、成功したとはいえ、規模の圧倒的な差はどこから生じるのでしょうか。おそらく、ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクは創業当初から世界的な視野を持ち、大きな志を抱いていたのでしょう。一方で、三木谷氏や藤田氏は最初から日本市場にのみ焦点を当て、世界的な展望を持っていなかった可能性があります。つまり、志が低かったのです。

〇30年前の世界一の大富豪は理論重視の日本人」

30年前の1993年、世界一の大富豪は日本人でした。当時、西武鉄道グループの総帥である堤義明氏がその座に就いていました。フォーブスが1987年に初めて世界長者番付を発表した際にも堤義明氏が1位であり、1995年までの8年間のうち6回1位に輝いていました。これは日本の不動産バブルが影響を与えた結果ですが、何はともあれ、当時日本人が世界一の大富豪であったのです。

実は私自身、20代後半の頃、松下政経塾から派遣され、堤義明氏のもとで2年間の修業を経験しました。松下幸之助塾長、堤義明オーナー、そして私との三者会談によってその修業が決まったという経緯であり、今振り返るとたいへんありがたいことでした。修業の詳細は別の機会に述べることにして、その中で覚えていることの一つは、堤義明氏が「理論」を重視していたことです。

「私にとって決断の基準は純粋な理論です。経営は純粋理論どおりにいかないと言われることもありますが、トップは不安や疑念を乗り越えて決断しなければなりません。そのため私は、純粋な理論的なアプローチを取ることを心掛けています」

最近、リゾート開発業界で注目を浴びている星野リゾートの星野佳路社長は「私はこれまでの経験から、(経営)教科書に書かれた内容が正しいことであり、実際の経営で役立つことを実感しています。(経営)教科書から学んだ理論に基づく判断によって、経営上のリスクを大幅に軽減できると考えています」と述べ、マイケル・ポーターの「競争の戦略」やフィリップ・コトラーの「マーケティング・マネジメント」などを推奨しています。

「囲碁や将棋のように、経営にも定石が存在する。教科書にはその定石が記載されています。無知のまま経営するか、定石を知識として持って経営するかによって、正しい判断を行う確率に違いが生じる」と述べています。さらに、星野氏は教科書の経営理論が大企業にのみ適用されると考えられることもあるかもしれませんが、「小さな企業ほど、(経営)教科書通りのアプローチが意味を持つ」と断言しています。

〇「呉下の阿蒙にあらず」となれ

私は日本である程度成功した起業家と話す機会が多いです。皆、魅力的で営業力は非常に優れています。しかし、成長を促すためのM&Aのファイナンス知識や、国際展開のための経営理論、いわゆる「兵法」「定石」に関する知識は極めて薄いです。これがアメリカのMBAを修了した経営者との大きな違いです。日本の経営者は、若い頃に営業に忙殺されており、「兵法」「定石」を学ぶ時間を割くことが少ないのです。

ときどき、メルマガで取り上げる韓国の財閥グループの30代後継者たちは、多くがハーバードやスタンフォードでMBAを取得しており、経営戦略の「兵法」「定石」を完全にマスターしています。論理が共通の言語となっているため、私との会話でも結論を早く導き出すことができます。

正史『三国志』には「呉下の阿蒙にあらず。 士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし。」という名文があります。

「呉下の阿蒙」とは呉の将軍、呂蒙の若いころのことで、勇猛でしたが、学問を持っておらず、兵法、定石を勉強していなかったことを意味します。優れた営業力のみの若手リーダーと言えるでしょう。

あるとき、彼の主君である孫権は彼に学問を勧めました。しかし、呂蒙は「軍務が忙しくて学ぶ時間がない」と言います。理論など不要と思ったのでしょう。

孫権は彼に助言します。「あなたは聡明で理解力もあります。学ぶことで得るものがあるに違いありません。急いで『孫子』や『六韜』、『左伝』、そして三史(『史記』、『漢書』、『東観漢記』)を読んでみることをお勧めします。漢の光武帝は、軍務の合間にも書物を手放すことはありませんでした。また、(三国志でのライバル)孟徳曹操も年を重ねるごとに学問に情熱を傾けるようになったと言っています。あなた方だけが、どうして学問に努力しないのでしょうか」

赤壁の戦いの後、周瑜が亡くなると後任の魯粛と呂蒙が対面しました。魯粛は呂蒙を無学者とみなしていましたが、猛勉強によって成長した呂蒙の見識の深さに驚かされました。

魯粛は「呉下の阿蒙に非ず」と述べました。すなわち、呂蒙はもはや無学な若者ではないということです。呂蒙は兵法を巧みに駆使し、関羽の軍隊を崩壊させ、関羽を捕虜とする大勝利を収めました。

成功を収めた若手経営者には、経営の「兵法」「定石」を学んでほしいと心から願っています。また、ベテランの経営者やビジネスマンは、自身の経験を理論化し、「兵法」「定石」として若手に伝えていくことが大切だと考えます。私自身も松下幸之助や孫正義から学んだ教訓を「兵法」「定石」として、若手経営者に伝え、彼らの飛躍に貢献したいと思っています。私の願いは、自身が関わる企業や若手経営者が将来的には日本の時価総額ベスト10に入ることです。クラーク博士が「少年よ大志を抱け」と言いましたが、私は「老年も大志を抱いていい」と信じています。

2023.08.17  軽井沢を創った十年の計

謹啓 立秋の候

この夏休みは上高地と軽井沢で過ごしました。上高地は以前一度行ったことがありますが、その際は雲多く、穂高連山と梓川が織りなす絶景を楽しむことができませんでした。

今回は、宿泊先を上高地帝国ホテルにしました。最初はピークシーズンのため、ベランダのない部屋しか取れませんでしたが、台風6号が迷走し、天候が不安定な予報だったため、キャンセルが出ました。その結果、穂高連山を一望できるベランダのついた素晴らしい部屋を確保することができました。

さらに、後に台風の進路が変わり、滞在中の3日間とも予報が良い方にはずれ見事な青空でした。穂高連山だけでなく、夜にはまるで宝石が散りばめられたような星空も楽しむことができました。「私は運が良い」を再確認しました(笑)。

朝の気温は10時で21度と快適でしたので、ベランダに座って、北杜夫氏の「どくとるマンボウ青春期」を読み、若き日々を思い出して過ごしました。

〇百年の計は人を植うるに如かず

現在、私は青春時代を過ごした松下政経塾の近くにある湘南に住んでいます。松下政経塾の最終試験である三次試験、松下幸之助の面接の基準は「運」と「愛嬌」であることはよくご存じと思います。

その前の二次試験。私の面接官は、2023年6月13日にご逝去された経済同友会の元代表幹事、牛尾治郎さんでした。数々の質問がありましたが、特に「日本の繁栄には何が必要と思いますか」という趣旨の質問が出されました。牛尾さんは日本青年会議所の会頭も務め、若手財界人の論客として既に有名でした。その牛尾さんに対して、生半可な経済理論を振り回しても通用しないと考えました。

即座に出た答えは、「中国の菅子に『一年の計は穀を植うるに如かず、十年の計は木を植うるに如かず、百年の計は人を植うるに如かず』とあります。百年の視点で見て、松下幸之助塾長が語られたようなアジアの時代を担う人材を教育・育成することが重要です。松下政経塾はまさにその修業の場であると信じ、今回私は志願させていただきました」というものでした。

この回答が適切だったのかどうかはわかりませんが、私は松下政経塾に合格しました。牛尾さんは私が衆議院議員になった後も、ソフトバンク社長室長時代も度々ご指導をいただきました。新盆の時期にあたり、安らかにお眠りいただくことを祈りつつ、これからも日本の未来を見守っていただきたいと願っております。

〇700万本の落葉松植林による軽井沢の風景

多くの人々が訪れるようになった旧軽井沢銀座は、今や原宿のような賑わいです。私はその喧騒から離れ、少し離れた場所に滞在します。日中は軽井沢でも30度を超えることもありますが、朝や夕方の涼しい風は格別であり、散歩を頻繁に楽しんでいます。

軽井沢がどこか日本とは異なり、ヨーロッパに似た雰囲気を持つのは、その風景が「カラマツ林」によって造り出されているからだと考えます。北原白秋の詩「落葉松(からまつ)」がその美しさを讃えています。私は散歩中にその詩の第三節を思い出します。「からまつの林の奥も、わが通る道はありけり。霧雨のかかる道なり。山風の通う道なり」

実はこの「カラマツ林」は自然に生まれたものではありません。明治時代、生糸相場などで富を築いた雨宮敬次郎(1846年生、山梨県出身)という実業家が、この地に植林することでその風景が生み出されたのです。彼はなんと700万本もの落葉松を植えたのです。

1876年、生糸相場や蚕糸相場で財を成した30歳の雨宮は、ヨーロッパとアメリカを視察しました。アメリカで不毛な土地がフロンティアスピリットによって開拓され、近代的な農場が築かれる様子を目撃しました。雨宮は軽井沢の地で約1100町歩(おおよそ1100ヘクタール)の土地を所有し、近代的な農場経営を推進しようと考えました。

最初はブドウの栽培に取り組みましたが、失敗に終わりました。次に蕎麦を栽培しましたが、これも限定的な成果にとどまりました。

「私はその時分肺結核で血を吐いていたから、とても長くは生きられないと考えていた。“せめてこの地に自分の墓場を残しておきたい”という精神で開墾を始めた。決して金を儲けて栄華をしたいという考えからではなかった」という当時の思いが残されています。

 人生には五計があるといいます。「身計(身の計ごと)」「生計(生きる計ごと)」「家計(家族のありかた)」「老計(いかに老いるか)」の最後の締めくくりとして「死計(いかに死ぬるか)」というものです。雨宮氏はまさに「死計」として軽井沢開墾を考えたのです。

〇死後のための「木の貯蓄」

彼は多くの挫折を経ても諦めず、次に考えたのは「落葉松」の植林でした。開墾に適さない地域を中心に、植林を始めました。「落葉松は檜と杉の中間の素材であり、この土地の気候に適しており、成長も速い。私自身の健康にも良い。毎年30万、40万本ずつ植え、その結果700万本に達した。私は金銭の貯蓄ではなく、木の貯蓄をしている。生前のためではなく、死後のために貯蓄を行っているのだ」と語りました。

この700万本の植林が、軽井沢の日本とは異なるヨーロッパのような風景を作り上げ、軽井沢に多くの人々を惹きつけているのです。雨宮の「死計」は見事に達成されたと言えるでしょう。

国の造林奨励もあいまって、敬次郎の落葉松林は事業としても大きな成功を収めました。その結果、長野県内著名森林19選に選ばれるまでに至りました。また、雨宮氏自身も植林事業が健康に良い影響を与えたのでしょう。彼は64歳という当時としては高齢まで生きることができました。

近年、ESG(環境、社会、ガバナンス)への重要性が高まり、環境に配慮した持続可能な経営をどのように実現するかという議論が盛んに行われています。しかし、中には一時的な姿勢やポーズをとるだけで終わってしまう取り組みも多く見受けられます。もし取り組むなら、将来の展望を見据えた上で、雨宮氏のように後世に残る事業をしてほしいと私は軽井沢を訪れるたびに思うのです。謹白

2023.08.02 隣の国、韓国で考えたこと

ロッテに継ぐ韓国第7位の財閥の会社、ハンファソリューション取締役会出席のため、7月26日から29日まで、ソウルに行ってきました。 

ソウルも暑かったですが、31度から33度と東京から比べると2-3度低かったようです。宿泊したプラザホテル(ハンファグループ所有)近くの徳寿宮でもミンミンゼミが鳴いていました。韓国の人は、セミの鳴き声を聞き分けれないそうで、「セミはセミ」なのだそうです。日本の文化は四季、自然と共生していますね。

〇3年間の変化・・日本と韓国は一人当たりGDPで同等

 ハンファソリューションは太陽光発電のモジュール製造、化学工業をメインとする会社です。アメリカの住宅用モジュールで33.7%のシェアで5年連続1位、商業用モジュールでも17・7%とこれも4年連続1位です。

実は、2020年の4月から取締役となったので、コロナ禍のため会議はすべてオンライン。3年目で初めての対面出席でした。

以前のメルマガで述べた松下幸之助が「韓国は伸びる。君たちは韓国をもっと研究しなくてはいかん」と言われたのが1981年。そのころの一人当たりGDPは日本1万ドル、韓国1883ドルと、日本は韓国の約6倍でした。

この3年で大きく変わったのが一人当たりGDPの日本と韓国の差です。一人当たりのGDPは2020年には日本約4万ドル、韓国約3万2千ドルとまだ差がありました。23年は日本は3万5千ドル、韓国3万3千ドルとなりほぼ同じです。いずれ抜かれるのではないでしょうか、

〇国際政治がテーマの昼食会

ハンファソリューションの経営はグローバルに展開し、ダイナミックです。

本年、アメリカ、ジョージアに、アメリカのインフレ抑制法(IRA)を利用して約3300億円を投資、太陽光発電のモジュール工場を建設します。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN11E0W0R10C23A1000000/

取締役会後の昼食会。テーマは米中関係がどうなるかでした。中国とアメリカが対立する中で、ヨーロッパ、アメリカのモジュール市場獲得を目指す戦略をとっているのだから当然と言えば当然です。私も自分の見方を披露しましたが、さすがに堅い話が多かったので「ランチ会でこんな難しい話ばかりなのは初めてだ」と言ってしまいました。昼食会、夕食会では政治や宗教の話はタブーというのが私の好きなイギリス方式ですから。

そうしたら、社外取締役の教授が話を変え、「ハンファの野球球団イーグルスは調子いいですが、ソフトバンクホークスは今18連敗ですよね」と言われてしまいました。

 なお、韓国の友人に聞いた話では、ハンファグループは、来年にはロッテを抜いて、第6位の財閥になるだろうということでした。

〇時間を買うM&Aをつかう韓国

モジュール製造しているハンファQCELLS工場を見学させていただきました。ほとんどが自動化されていますが、働いている人は平均年齢30代で若く、きびきびしていました。

QCELLSがモジュール事業をスタートしたのは2010年。ゼロからのスタートではなく、中国の企業をM&Aしてのスタートでした。そこで、製造の基礎ノウハウと人材を取得。次に2011年、ドイツの企業をM&A。当時としては先進の技術を手に入れます。まさに、時間を買うM&Aで発展します。

2011年というと福島原子力発電事故をきっかけに再生エネルギーが注目されたころです。2012年7月1日、定価格買い取り制度がスタートした日に、京都市伏見区で「ソフトバン京都ソーラーパーク」で発電開始式が行われました。京セラの稲盛和夫名誉会長、ソフトバンクの孫正義社長が二人とも出席するということで注目されました。

稲盛会長はあいさつで「今から30年前、この伏見という場所で、松下さんとシャープさんと、京セラが主体となってソーラーの研究所を創った。松下さんも撤退した。京セラだけが意地で残り・・大変苦労しながら、20年前に多結晶シリコンによる高性能の太陽電池を世界で初めて完成させた。それを象徴するかのように、今日、同じ伏見の地で、メガソーラー発電を開始できる。私がどんなに感激しているか。感無量です」と言われた。

日本だと「30年という長い年月をかけて」というのは「美談」です。しかし世界を相手にする競争で、それだけでいいのかと思う時もあります。私は若い経営者は「時間を買う」M&A戦略をもっと積極的に活用し、ノウハウを蓄積し、M&Aを特技にすべきであると思います。

〇松下幸之助はM&Aの達人

工場視察でも昼食をいただきました。エレベーターに乗ってきた中年の女性たちの「これから昼ご飯」という嬉しそうな明るい会話が印象的でした。

そこでもM&A戦略について聞いたところ、「どんな方法がいいかよく検討しましたが、M&A戦略をつかうことに決めました」という返事でした。

私からは「松下幸之助は、M&Aの達人でもありました。94歳で亡くなりましたが、そのときのパナソニックの売り上げの半分は買収した企業によるものでした。松下はM&Aによって世界の松下になったのです」との話をしました。

 昼食は三交替制だそうで、私は11時からの食事。朝、ホテルでたっぷりの朝食を食べたばかりだったので、美味しそうなものをずいぶん残してしまい、残念と思いながら工場を後にしました。

 

 若い人を中心に、「NOジャパン」が「YESジャパン」になり、「GOジャパン」として日本にたくさんの韓国の人が来ています。

 8月17日、米国ワシントンの大統領山荘キャンプデービッドでは日米韓三首脳の会談が開かれます。日韓関係が新しい姿になってゆくことを期待します。

2023.07.26 どうする家康に学ぶ人事の妙

信州・松本に講演のお呼びいただき行ってまいりました。松本は古き良き「旧制高校」を描いた北杜夫の「ドクトルマンボウ青春記」の舞台になったところです。「学都」とも呼ばれ、朝早くから通学を急ぐ制服姿の高校生が爽やかでした。

国宝・松本城まで散歩したところ、堀に天守閣が見事に映っていました。「逆さ富士」ではなく「逆さ城」と言えるかもしれません。

「夏の暁(あけ)お堀に映る逆さ城 古鯉来りて姿を揺らす」

この松本城は、徳川家康の三河時代の家老、石川数正が創建したとされています。大河ドラマ「どうする家康」では、「孤独のグルメ」の松重豊さんが演じています。

〇大敗北・三方ヶ原の戦い、家康は30歳

「どうする家康」の現在の舞台は愛知県の三河地区であり、私の政治家時代の地元なので興味深く見ています。徳川家康は1542年生まれで、織田信長は1534年、豊臣秀吉は1536年の生まれですから、家康は信長の8つ下、秀吉の6つ下です。

信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ったのは1560年で、信長は26歳でした。織田信長も、社長急死で、あととりになったものの、古参幹部から見たら、頼りない若社長でした。桶狭間の成功により、信長は一挙に織田家内の実権を握りました。一方、徳川家康はその時18歳であり、高校三年生ということになります。家康はここから人質時代を過ごした今川家の呪縛から離れ、岡崎に戻り、古参家臣から迎えられ、とりあえず徳川会社の跡取りとなります。

歴史ある今川か、勢いのある織田か。悩んだ末、家康は織田信長と盟約・アライアンスを組み、三河を平定したのは1562年家康20歳の時でした。

三河時代には、20歳の若社長を支える両家老がいました。一人が石川数正(東三河組・豊橋)で、1533年生まれの29歳、もう一人が酒井忠次(西三河組・岡崎)で、1527年生まれの35歳です。

それにしても、酒井忠次を演じる大森南朋さんは、ドラマ「ハゲタカ」の怜悧な鷲津義彦の第一印象が強いので、「エビすくい」を踊り、まとめ役を演じている姿に、役者とはここまでキャラクターを変えられるのだといつも感心しています。

家康、最大の大敗北。武田信玄に完膚なきまで叩きのめされた「三方ヶ原の戦い」は1572年、家康30歳の時です。30歳という若さが幸いしたのでしょう。「負けに不思議な負けなし」大敗をしたことで家康は成長します。信長の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬隊を破った「長篠の戦い」は1575年で、家康33歳、信長41歳の時です。

そして、1582年、信長が本能寺の変で志半ばで倒れます。家康はちょうど40歳です。大河ドラマ「どうする家康」も7月23日が「本能寺の変」でした。今回のドラマは従来の歴史解釈と違うので、面白く見ています。ここから、アライアンスを解消し、独立した260年続くビジョナリーカンパニー「徳川家」をめざす「家康2.0」がどう描かれるのでしょうか。

〇三河時代の「三備え」

家康の人事戦略の第一は、一人に力を集中させることなく、常に家臣を競い合わせることにあります。創業当時、三河時代の徳川家の組織は「三備え」と言われました。西三河組、東三河組、そして旗本組の三つを意味します。

両家老であった酒井忠治と石川数正をそれぞれ西三河組(岡崎が拠点)、東三河組(吉田、現在の豊橋が拠点)に配しました。事業部制をとり、それぞれにトップを置き、権限と責任を与えたようなものでしょう。

旗本組は旗本先手役と馬廻衆で構成されています。会社で言えば、幹部候補生と秘書役の集まる社長室のようなものでしょう。若手が多く、ベテランを牽制しながら、幹部のサクセッションプランも同時に行っていたと言えます。この「旗本先手役」に本田忠勝と榊原康正が入ります。彼らは家康とともに成長し、家康の天下取りに大いに貢献します。

本田忠勝は「家康に過ぎたるものは二つあり、唐の頭に本多平八」と言わしめた人物です。「ただ勝つ」ために生まれたとされ、生涯で57回の戦いに参戦し、一度も傷を負わなかったと伝えられています。大河ドラマ「どうする家康」では山田裕貴が演じていますが、連ドラ「なつぞら」の幸次郎君の印象が抜けません(笑)。榊原康正は、姉川の戦いなどの活躍ぶりが知られています。

家康が関東に入封されたとき、忠勝は上総大多喜(千葉)で10万石、康正も上野館林(群馬)で10万石を与えられています。二人はライバルでしたが、家康も二人を競い合わせたのでしょう。期待する若い人材に、事業部あるいは子会社を任せて競い合わせるようなものです。

〇徳川四天王の構成の妙

「徳川四天王」と呼ばれるのは、酒井忠治、本田忠勝、榊原康正、そして井伊直正です。石川数正は後に家康から離れてしまい、四天王には含まれません。

「徳川四天王」には見事な構成の妙があります。まず、補佐役であり、まとめ役である酒井忠治。次に皆のロールモデルになってもらいたい若手幹部の本田忠勝と榊原康正。そして、中途採用の星、井伊直正という構成になっています。

本田忠勝と榊原康正はともに1548年生まれで同い年。家康は6歳上です。家康からすれば、目をかけているかわいい後輩というところでしょう。井伊直正は1561年生まれで、酒井忠次とは34歳、忠勝と康正とは13歳の開きがあります。家康の寵童であったと噂されるほど、秀麗でした。

4人のうち、井伊直正だけが異色です。他の三人は三河譜代でしたが、井伊直正は遠江(静岡県)の出身で、元々今川家でした。織田信長が本能寺で倒れた後、家康は甲斐の国の攻略を進めます。北条氏も同じように動いたので、井伊直正は北条と闘いながら、武田の家臣を自分の傘下に納めていきます。武田軍が部隊の装備を赤く揃え、「武田の赤備え」と言われたのも継承し、軍団を赤で統一。「井伊の赤備え」と呼ばれました。これが評価され、関東入封の時は、忠勝、康正よりも多い一二万石をもらいます。

家康は先祖伝来の三河から関東に移転し、新規人材を採用しなくてはならない状況でした。新参者、途中入社でも働き次第で評価されるということを見せたのでしょう。まさに、経営とは人事です。

あなたの会社の「四天王」は誰でしょうか?構成の妙も含めて、是非考えてみてください。

〇松下幸之助の「徳川家康」観

昭和時代、山岡荘八の「徳川家康」が経営者に流行しました。家康がどういう時にどういう人使いをしたかが面白く書いてあります。だから、君も読むべきだと松下幸之助も進められたそうです。

松下幸之助は「家康は家康。松下は松下」といって、徳川家康のやったことをそのまま真似することは否定します。「家康と同じ知識才能の人であれば、そのとおりやればいいでしょう。しかし、みんな持ち味が違う」と語っています。歴史ドラマや歴史小説を読むときの正しい姿勢だと思います。

ただし、徳川家康については「徳川家康という人は、偉いに違いありませんが、もっとも偉い点は何かというと、運が強いのです。何べん戦争に行って、まさに殺されかけるというときにわずかなところで助かっているのです」と評価しています。「運がいい奴が一番偉い」というのが松下幸之助の哲学です。

歴史はそのままに繰り返しませんが、歴史を鏡とすることは大いに参考になります。ドラマ「どうする家康」は古くはあるが、つぶれそうな徳川会社という企業の社長に就任した18歳の若者が、織田信長会社という勢いある企業とアライアンスを組み、「中堅企業」に成長していく過程でどんな人事戦略をとったかを見るに参考になりました。

山岡荘八の「徳川家康」は全26巻もあり、長すぎます。漫画家の横山光輝が描いた「漫画版徳川家康」(講談社文庫)でも十分にエッセンスはわかります。全八巻ですが、三巻からでも十分です。最初に「本田忠勝」が出てきます。私はKindleに入れて、移動時間などに読んでいます。エッセンスをつかんだら、山路愛山の「徳川家康」(岩波文庫)全2巻がお薦めです。夏休みの読書リストに入れていただいたらどうでしょうか。

2023.07.13 GAFAMからMATANAへ

〇日経平均上昇の機会を活かせ

現在、日経平均株価が一時、3万3千円を超え好況を示しています。アジアを代表する投資先であった中国の地政学的リスクが高まり、資金の流れが変わりました。これまで出遅れていた日本に注目が集まり、資金が流入、株高となっているのが実情です。そのため、ウォーレン・バフェット氏が購入した伊藤忠、三井物産、三菱商事などの商社株を中心に、世界的に知名度の高い企業の株価のみが上昇しているようです。

海外投資家は2023年4月から6月の期間において、日本株を積極的に購入し、その規模は四半期ベースで過去最大となりました。具体的には、4月から6月の間に海外投資家によって購入された日本株の額は9兆4944億円に上ります。この数字は、遡ること1996年以降のデータが存在する範囲では、2005年10月から12月にかけての8兆9832億円をも上回る、最大の規模です。海外投資家が日本の株高をけん引していると言えるでしょう。

私自身は、韓国財閥ハンファグループ(ロッテと同規模、韓国で7番目に大きい)のハンファソリューションの社外取締役を務めておりますが、韓国でも同様の状況が生じています。実際、韓国の株価指数は2023年初から日本株に先駆けて上昇しています。むしろ日本株は4月まで出遅れていたと言えます。5月半ば以降の急激な上昇により、日本の株価は韓国とほぼ同水準まで追いついたと言えるでしょう。海外投資家による韓国株の買い越し額は12兆3000億ウォンに達し、そのうち世界的に有名なサムスン電子の買い越し分が12兆788億ウォンで、98%と集中しています。

日本は来年から新たなNISA制度が導入されます。おそらく、貯蓄中心だった日本の個人資産が、株、金融資産に回るでしょう。日本株がこのように上昇すると、人々の関心も高まり、多くの人が投資家デビューを果たすでしょう。海外投資家は、今年中に日本株を購入し、来年に高値で売り抜けようと考えているのかもしれません。

新たなNISA制度を進める日本の金融庁などは、どうしても未熟です。イギリスなどは16世紀のエリザベス1世の時代にキャプテンドレークがスペイン船を襲い、メキシコから運ばれていた銀をもとに、国家的な資金運用を行ってきた500年以上の歴史があります。日本の金融庁など、まるで赤子でしょう。

ただし、世界の投資家たちが久しぶりに日本に注目していることは重要です。上場企業や若手企業のCEOやCFOはグローバルなIR(投資家向け広報活動)に力を入れるべきだと考えます。この潮流に乗るべきです。

時価総額をこの機会に引き上げ、その力を活かしてM&A(合併・買収)を推進することも可能です。かつて流行したダイナミックな「時価総額経営」が再び実現できる絶好の機会です。

また、近い将来IPO(新規株式公開)を考えている経営者は、グローバルにどのようにアピールするかを考えるべきです。海外投資家が注目しているので、それほど難しいことではないはずです。

〇GAFAMからMATANAへ

2019年末の時点では、世界の時価総額ランキングは、1位がApple、2位がMicrosoft、3位がAmazon、4位がAlphabet(Google)、5位がFacebookとなっており、GAFAM時代を象徴していました。7位にアリババ、9位にテンセントが入り、中国が投資先として有力でした。Appleが時価総額1兆ドルに到達したことに驚嘆の声が上がっていました。

2021年2月にはコロナが1年経過し、時価総額ランキングでもAppleが1位を維持しました。エネルギー価格の上昇により、2位はサウジアラムコ。3位はMicrosoft、4位はAlphabet、5位はAmazonとなり、コロナ禍でもGAFAMが強さを示しました。そして、この時点で初めてTeslaが8位にランクインします。テンセントは6位、アリババは9位と、中国企業も健在でした。

そして現在の2023年6月、中国企業はトップ10から消えました。1位はAppleで、時価総額は3兆ドルに到達しました。わずか4年で3倍になったのです。

2位はChatGptへの関心もあり、Microsoftです。3位はサウジアラムコ、4位はAlphabet、5位はAmazonと変わりませんが、6位にNVIDIA、7位にTesla、8位にMeta(Facebook)となっています。

シリコンバレーでは、これから世界をリードするビッグテック企業はGAFAMではなく、NVIDIAとTeslaを加えた「MATANA」の時代が訪れると言われています。これにはMetaは入っていません。

AI革命の本格化により、競争が激化しています。コロンビア大学のティム・ウー教授は、「どこからともなく現れた企業に長年のプレーヤーが生きたまま食べられる可能性のある時代」と表現しています。

ビッグテック同士の競争も激しくなっています。例えば、ツイッターに対抗する「Threads」のローンチにより、世界最富のイーロン・マスク(総資産2494億ドル)と世界10位の富豪ザッカーバーグ(総資産1015億ドル)の対立が激化し、「金網デスマッチ」のような争いが報じられています。時価総額で言えば、7位のTeslaと8位のMetaとの争いです。

残念ながら、このようなビッグテック競争の時代において日本からMANATAに挑戦する企業はまだ見当たりません。日本株の上昇を利用して、乱世の時代に名乗りを上げる日本企業が現れることを心から期待しています。「どこからともなく現れた企業に長年のプレーヤーが生きたまま食べられる可能性のある時代」なのですから。

2023.06.27 ウクライナ、決着に向かうと予想する理由

謹啓 夏至の候 2022年2月にロシアがウクライナに侵攻してから15カ月が経ちました。

ロシアで民間軍事会社ワグネルの反乱が起き、モスクワまで200キロの地点で停戦しました。イギリスのファイナンシャルタイムズによると、プーチン氏は情報機関の元工作員であり、陰謀論者であるため、「反乱の根源は米政府にあると確信」していると報じられています。私はこれがターニングポイントになり、決着への動きが加速すると考えています。

日露戦争は1904年2月に始まりました。日本の明石元二郎参謀はレーニンとも会談し、ロシア国内の革命家に資金援助をしたことで反乱の動きが生まれ、1905年9月までの19カ月で終結しました。日本海海戦の勝利もありましたが、当時の日本は情報・諜報工作を重視していました。歴史的に見ると、約15カ月経過すると「反乱」に類する出来事がロシアで起きる傾向があるようです。

諜報工作というといわゆる「機密費」です。長岡外史参謀次長の記録によると、その総額は100万円(現在の約80億円)でした。ただし、明石参謀は厳密に会計を管理し、余った27万円を帰国後に返金しました。使途不明金はシベリア鉄道の便所に落とした数百ルーブルだけだったと言われています。

〇ウクライナ後の世界を話し合った米国、中国

ブリンケン米国務長官は、ワグネルの反乱によってロシア国内で「以前にはなかった亀裂が現れている」と述べ、今後数日から数週間で事態がさらに展開するとの見通しも示し、ウクライナ侵攻が「全くの戦略的失敗だった」と断じています。

ブリンケン国務長官は、6月18日から5年ぶりに中国を訪問し、習近平主席と会談しました。日本ではこれについて表面的な報道が多かったですが、ここでウクライナ侵攻終結に向けて、さらにはその後の世界の展望についてのシナリオが話されたと思います。

第二次世界大戦中、イギリスのチャーチル、アメリカのルーズヴェルト、ソ連のスターリンは、戦後の世界秩序について話し合うため、1945年2月にソ連の保養地ヤルタでヤルタ会談を行いました。そこで、ソ連がドイツ降伏2か月3か月を経て、日本に対する戦争に参加すること。また日本の敗戦後に樺太の南部とこれに隣接する一切の諸島がソ連に返還され、千島列島はソ連に引き渡されることが決定されたとされています。

さらに戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式について、イギリス・フランス・アメリカ合衆国・中華民国・ソビエト連邦の5か国(後の安全保障理事会常任理事国)の拒否権を認めたのもこの会談でした。

主要7カ国(G7)を含む各国の外相が、21日にロンドンで外相会合を開きました。報道によると、「中国を訪問したブリンケン米国務長官がその内容を報告した。各国で対中国の認識を調整したと見られる。ウクライナ情勢についても話し合った」とされています。日本では中国問題だけが注目されていますが、実はウクライナ問題が本題だったろうと思います。日本の政治家も、ウクライナ侵攻後の世界について話し合うべき時だと考えます。ただ、その話し合いに日本を入らせてくれるかどうかもわかりませんが。。

〇6月はミッドウェー海戦の月

 日米が戦った太平洋戦争は1941年12月から1945年8月まで3年9カ月、45カ月も続きました。日清戦争が1894年7月から95年4月までの、約10カ月、日露戦争19カ月と比べると長いです。これだけの長距離走を戦い抜いて勝つだけの国力は日本になかったのでしょう。

太平洋戦争のターニングポイントになったミッドウェイ作戦は1941年6月4日から7日に行われました。当時世界最強を誇った空母を中心とする日本の機動部隊は空母4隻と多数の熟練搭乗員を失いました。その敗因は、ミッドウェイ島攻略とアメリカ空母部隊撃滅という作戦目的に二重性があり、あいまいになってしまったこと。日本が伝統的に砲兵戦重視で情報、諜報を重視しなかったことがあげられています。情報、諜報は軍令第三部が担当でしたが、主流になりえませんでした。

これに対し、アメリカ最高司令官ニミッツ提督はハワイで指揮をとり、目的を日本の空母群の撃滅に集中し、「空母以外に手を出すな」と言明していました。また、米軍は日本の暗号解読に成功し、日本連合艦隊の作戦を事前に察知していたと言います。日本側は、暗号が解読されていることをその後も知りませんでした。

ワシントンのスミソニアン航空博物館に行くと、ミッドウェイ作戦によって米軍がいかに勝利したかを説明したコーナーがあります。ワシントンまで行かれる方は少ないと思いますが、もし行かれたならぜひおすすめです。日本のゼロ戦も展示されており、アメリカ人の考え方をよく理解することができます。

〇「失敗の本質」を経営に活かすべき

「失敗の本質・・日本軍の組織論的研究」というロングセラーがあります。ノモンハン事件、ガダルカナル作戦、沖縄戦など、敗戦を研究したものです。その結論は、「おおよそ日本軍には失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた」としています。

日本軍は戦闘結果を客観的に評価し、それを次の戦闘への知識として蓄積することが苦手でした。先輩を批判しない文化や敗者に対する寛容な文化がありました。

これに対して、米軍は一連の作戦から有用な新しい情報を組織化しました。ニミッツ提督の「空母以外に手を出すな」という言葉は、真珠湾奇襲攻撃を受け、空母の重要性を素直に認識したことに基づいています。さらに、マレー沖海戦において、プリンスオブウェールズとレパルスという英海軍の2大戦艦が航空機によって撃沈されたことから、米軍は航空主兵への転換を日本より徹底的に進めました。

日本では、経営決断において失敗しても取締役会などでの議論は少ないようです。失敗した場合でも、それを直視し、「失敗の本質」を明らかにし、会社を組織的に改善すべきだと思います。これが企業経営において長期戦に勝利する秘訣だと考えます。

2023.06.13 米軍、西園寺公望に学ぶ幹部教育、後継者教育

謹啓、芒種の候

昔から芸事の世界では、「稽古はじめ」を6歳の6月6日にすると名人になると言われます。また、世阿弥が記した「風姿花伝」でも、芸を始めるのは数え7歳(満6歳)からが良いとされています。昔から、名人の世界でも、子供や孫の教育、後継者教育は大きな関心事だったのでしょう。

〇米国陸軍士官学校、ウェストポイントの教育

岸田総理は総理公邸で親族と忘年会を開き、公的なスペースで記念撮影をした長男である翔太郎総理秘書官を6月1日付で更迭しました。長男を自身の秘書官やスタッフにすることは、苦労を知らずに権力の甘い側面だけを知ることになり、後継者教育としては失敗だったと考えられます。

アメリカ陸軍士官学校であるウェストポイントの教育方針についても触れておきます。ウェストポイントはニューヨーク郊外に位置し、アメリカ陸軍の幹部教育方針は明確です。彼らは出世競争に有利とされる政務や軍務の「スタッフ部門」ではなく、野戦軍司令官や師団長などの「ライン畑」の経験者を重視しています。これは、会社で言えば企画部や人事部ではなく、厳しい市場での営業事業本部長や子会社社長経営者を重視するという考え方と類似しているかもしれません。

ウェストポイントへの入学には米国下院議員の推薦状が必要です。また、かつて米国はウェストポイント出身のエリート将校全員に対し、パラシュート部隊である空挺隊か、レインジャー部隊の勤務を義務付けていました。

空挺隊員は高度約1,000メートルで飛ぶジェット輸送機から、落下傘一つに命を託して虚空に飛び出さねばなりません。大変な度胸が必要です。さらに、空挺隊には万国共通の規則があり、指揮官はフォローミーとばかりに、隊員より先に飛び降りなければなりません。まさに率先垂範です。

私も松下政経塾時代に日本の習志野空挺隊に体験入隊しました。34尺(約9メートル)の鉄塔からの降下訓練も経験しました。34尺の高さだと地面がよく見えて、心理学的に最も恐怖を感じるそうです。

ところで、近年のウェストポイントの首席卒業生が日本への赴任を希望する人が多いとのことです。ウェストポイントの首席卒業生が欧州ではなく、日本を希望するということは、日本を含むアジアが安全保障上危機的な状況にあり、自らが活躍する場があると考えているのでしょうか。

〇王将と飛車、角の違い

サイバーエージェントの藤田晋社長は、今年6月に50歳を迎えます。まだまだ若いですが、3年後に社長を辞任し、会長になることを発表しました。現在、後継者教育が進行中です。

孫正義氏と後継者について話した際に、将棋の話題になりました。藤田社長は幼少期、王様よりも飛車や角の方がかっこいいと思っていたそうです。「王様は卑怯でしょぼいと感じていました。一つしか動けず、逃げ回ってばかりいると(笑)部下の後ろに隠れてばかりいるようで、汚いと思っていました。なぜもっと男らしく振る舞わないのか」と。しかし、成長するにつれて考えが変わってきたそうです。飛車や角は大胆に動けますが、動く方向が制限されています。そのため攻められやすいのです。「勇ましいとはいえ、結局は天下、国家を抑えられる男ではありません」と。トータルバランスのある「王様」の方が、飛車や角の営業本部長よりも優れているということです。

「小さい頃から王様の役割を果たしてきた人は、頑強です。苦難を経験しているからです。創業者社長が強いのは、小さなころから知識や営業、技術などすべての面で苦労してきたからです。柳井さん(ユニクロ)や永守さん(日本電産)のような方々は、景気の浮き沈みにも耐えられます」とも話しています。したがって、小さな組織でも創業者が望ましいということです。実際に、ソフトバンク(携帯事業)の宮川潤一社長は、ソフトバンク入社前に「ももたろうインターネット」を立ち上げた創業者でした。

サイバーエージェントでは、後継者候補を16人に絞り込んでいます。サイバーエージェントは若くして社長に任命する人事制度があります。候補者のほとんどは社長経験者であり、つまり「王将」の経験者です。きっと優秀な後継者が誕生するでしょう。

〇期待している人にどう接するか

私も今年4月に65歳になり、老年になりました。キケロは紀元前のローマで最高の教養人とされた人物であり、彼は「老年について」(岩波文庫)の中で、「若者の熱意に取り囲まれた老年ほど喜ばしいものがあろうか」と述べています。私はいくつかの会社の社外取締役や顧問を務めており、私よりも若い社長たちに囲まれています。

その中で私が注意していることは、必ず「○○社長」と呼ぶことです。もちろん、社外取締役の中には親しみを込めて「○○さん」と呼ばれる方もいます。これは、二度総理となり、最後の元勲と称された西園寺公望の行動から学んだことです。

近衛文麿(細川元総理の祖父)がまだ学生だった頃の話です。彼は西園寺公望に呼ばれて、緊張しながら伺いました。西園寺公望は若い近衛氏に対して「公爵、公爵」と敬称を使いました。若かった近衛公は「私に公爵なんてそんな堅苦しいことを言わないでください」と言ったそうです。しかし、西園寺公望は「いや、そうではありません。あなたは重要な方なので、当然のことです」とおっしゃったそうです。後で、側近の人に言われたのは「あれでは困る。私が公爵と言っているのは、皮肉やからかいではなく、立派な公爵になってほしいと思っているから礼を正しているのじゃ。それが分かるかのう」ということでした。

キケロは「老年期のために、青年たちを教え導き、どんな義務でも果たせるように育て上げる力を、我々は残しておくべきではないか。実際、これより立派な仕事があろうか」と述べています。私は松下政経塾を卒業し、衆議院議員として9年間、孫正義の参謀としても9年間活動しました。最後の仕事は、松下幸之助と孫正義から学んだ経験を伝え、日本の復活に貢献できる人材を育成することだと考えています。               

2023.05.24 広島サミットと「日本の日の出」

「広島サミット」が閉会しました。G7の首脳がそろって広島平和記念館に献花し、ウクライナのゼレンスキー大統領が参加するなど、日本と世界にとって良い成果がもたらされたと思います。岸田首相、湯崎英彦広島県知事など、よく知っている方々が無事に責務を果たされたことを喜んでおります。

〇「日本の日の出」は来るか?

岸田総理が政府専用機777で、広島市街地から1時間とちょっと遠い、広島空港に到着した5月18日。シンガポールから金融界が注目したレポートが世界に発信されました。

バンク・オブ・シンガポールのチーフエコノミスト発信のレポートの題名は「日本の日の出」でした。1980年代の「ジャパンアズナンバー1」を彷彿させるようなネーミングです。サミットで日本は存在感を示し、その後、日本株は33年ぶりの高値を記録しました。

 米バンク・オブ・アメリカのアナリストは、より長期的な時間枠では、日本株が今後さらに33%上昇し、1980年代の日本の資産バブルの末期につけた史上最高値、1989年末の3万8915円に達するという予測を出しています。

 日本は1990年代の繁栄から衰亡期に入ったと見られています。しかし、ローマ帝国衰亡史を書いたギボンの言うように、衰亡は一直線ではありません。経済が活力を失い始めると、人々は政治的にはしばしばより賢明で巧妙になります。

今回、「日本の日の出」と言われるのは、まさに米国と中国の覇権争いによる漁夫の利をえた日本の有利さ、地政学的な要因によってもたらされています。ワシントンの「反中国」政策はますます強まっています。広島サミットは、日本がアジア最大の代表国としてどの交渉のテーブルにおいても存在感を発揮するという、珍しくも幸運な機会を得ることができました

〇世界の外交官のサミット評価

サミットに参加した外交官たちは(1)日本がこの機会と国際的なホスト役の両方を明らかに享受していること、(2)韓国、インド、ブラジル、ベトナムの首脳も招いてサミットの枠組みを広げたことというポジティブな分析をしています。

さらに上級政府高官たちの話では、岸田首相は日本をアジア地域における新たな冷戦のブロック形成によって定義される、(1)安定的で強固な、(2)サプライチェーンに優しい西側のパートナーとして位置づけることができたと述べています。まさに大成功です。

サミットを契機にもたらされた「日本の日の出」を現実のものにするために、政治家も経営者も進むべき時だと思います。中国、東南アジアに向かっていた世界の資金があきらかに日本にまわってきます。

〇高坂ノートに見る「サミット」とは

 40年以上、大事にしている「講義ノート」があります。松下政経塾の時聞いた、高坂正堯京都大学教授の「国際政治」のノートです。紙も少し黄ばみ、色あせていますが、時おり読み返しています。

 最初のサミットは、1975年11月にフランスのフランスのランブイエで、ジスカールデスタンフランス大統領を議長として開催されました。ドイツのシュミット首相とともに、開催を促進したとされています。

私が高坂先生の講義を聞いた1980年代のサミットは、レーガン大統領、サッチャー首相、日本は中曽根総理となかなかの政治家が揃っていました。

 

 サミットの機能は第一に、トップが協議することで世界が「悪循環」をもたらすときの歯止めになること。第二に、国内を説得するのに非常にいいツールになること。第三にメンツをたもたせながら退却することを促すことができる事と、ノートにあります。

 ウクライナに自衛隊車両100台を供与するなど、一昔前なら大議論になることがそのまま認められたのは第二の機能でしょう。

 

 日本にとって最も重要なのが、第四の機能。ヨーロッパに対してもアメリカに対しても日本がモノを言える機会となる機能です。時には、ヨーロッパに日本の立場を代弁してもらうことも重要とあります。

 今回の広島サミットは、まさにそうでした。「高坂ノート」の紙は色あせていますが、内容は色あせていません。

〇中曽根首相を超えた?!

 1983年、カナダ。ウィリアームズバーグ・サミットの記念撮影で真ん中のレーガン大統領の隣でカメラに収まっていたことが、日本の地位が上がったと、無邪気に嬉しかったことを思い出します。「やるじゃない、やりすぎじゃない中曽根さん」との言葉が流行したりしました。

 日本以外の参加国は、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)の構成国で首脳たちは年に何度も顔をそろえて、会談し、意思疎通を図っています。日本はある意味「蚊帳の外」であり、欧米各国の首脳と同時に会えるのは、サミットだけなのです。そして、アジアで開催国になれるのは日本だけであることを忘れてはなりません。

今回、岸田首相は核保有国3国を含む7か国首脳を平和記念館に案内し、原爆慰霊碑で献花をしていただき、世界に平和へのメッセージを広島から発信しました。岸田首相の行動は、歴史への挑戦を世界に働きかけたという意味で、ウィリアームズバーグ・サミットの中曽根首相を超えたと思います。

2023.05.11 バフェットが語った「成功の鍵」

5月6日、アメリカ大陸の中央部にあるネスブラスカ州オマハで、時価総額世界第6位のバークシャー・ハザウェイの株主総会が開かれました。

 92歳になる「オマハの賢人」、ウォーレン・バフェットは「ビジネスでも人生でも大きな失敗を避けるにはどうすればいいか」という哲学的な質問を受けました。

 バフェットは一息おき答えました。「自分の死亡記事を書いてから、その通りに生きるにはどうしたらいいか考えなさい」付け加えて、「そんなに複雑なことではない」と語りました。

私もバフェットのアドバイスにしたがい、自分の「死亡記事」を書いてみようと思っています(笑)皆さんもいかがでしょうか。

〇日本は今より大きくなる

 バフェットが4月11日に訪日しました。コロナ真っ只中の、20年8月に伊藤忠、三菱商事など五大商社株を購入。コロナ終焉が見えた22年11月には保有比率6%に拡大したことを発表。さらに7.6%にまですると最近発言しています。12月には円建て債発行額が合計で1兆円を超えました。 

大手5社の23年3月期の合計純利益は約4兆2000億円。大量保有を始めた21年3月期から4倍超。株価も保有を公表した20年8月から8割高〜3.3倍となっています。さすが、バフェットというしかありません。

 

 バフェットは「20年後や50年後に日本や米国が今より大きくなっていることは確信が持てる」「今日が永遠に続くわけではない。10年後、20年後どうなっているかを真剣に考えることだ」と語りました。

 日本悲観論が蔓延する中、オマハの賢人の長期的に楽観的な予測は嬉しく思いました。

〇「台湾より日本のほうが良い」の真実

 バフェット氏が「台湾より日本の方が良い投資先だ」と言ったことも注目を浴びました。

熊本に進出したことでも知られる台湾の半導体メーカー、TSMCをバフェットは2022年7~9月に41億ドル超相当を購入しました。

しかし、その3か月後、22年末までに保有株の86%を売却したのです。バフェットの投資はBUY&HOLD、長期保有が原則で、それに反する動きでした。

 

台湾の地政学リスクがその原因です。ワシントンでは米中間で戦争が起きるかもしれないという議論が頻繁にされていることに驚かされます。

2022年10月、米海軍のマイケル・ギルディ作戦部長が、中国の台湾侵攻が2023年までに起きる可能性を示唆しました。その後、バフェットはTSMCを売却します。さらに、今年1月に中国を担当していた元インド太平洋軍副司令官で現在、米空軍の司令官のマイク・ミニハン氏は「台湾有事が2025年に起こる」と予測。準備を急ぐよう指示するメモを同僚に送ったことが明らかになっています。

 軍人が「最悪に備えて準備する」ことは当然です。しかし、私は台湾侵攻が起きる可能性は低いと思っています。中国が現在のところ、アメリカと戦って勝てるはずがないことを中国指導部は知っているからです。

「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」。勝つ方は先に勝つという見通しがたってから戦い、負ける方は戦いを始めてからどうやったら勝てるかを考えるという「孫子」の言葉です。5月7日の大河ドラマ「どうする家康」の武田信玄のセリフにもありました。

孫子の本家本元である中国が勝てない侵攻はしないでしょう。また、ロシアのウクライナ侵攻が長期戦になりプーチンの指導力に陰りがでていることも、中国指導部を慎重にさせると思います。私は2025年までに中国の台湾侵攻はないと予測します。

〇バフェットが信奉しているケインズ

 「ケインズの論考を読むことで証券・市場についてより賢くなれる。」

バフェットが1930年代の大恐慌に対処した、イギリスの経済学者ケインズを信奉していることは良く知られています。

「正しい投資手法は、その経営内容を理解し、経営陣を信頼する企業にまとまった額を投資すること」。バフェットが好んで引用するこの言葉は、ケインズによるものです。「雇用・利子および貨幣の一般理論」(岩波文庫)、「ケインズ説得評論集」(日経)は学生時代に読んでから私の座右の書となっています。

21年の株主総会のことです。その頃ブームだった「SPAC」をギャンブルと同じで長くは続かないと批判しました。その根拠として、ケインズの「一般理論」12章をボードにして紹介していました。

「事業の安定した流れがあれば、その上のあぶくとして投機家がいても害はありません。でも事業の方が投機の大渦におけるあぶくになってしまうと、その立場は深刻です。ある国の資本発展がカジノ活動の副産物になってしまったら、その発展は多分、まずい出来となるでしょう」

このところの経済状況を見て、参考になると思ったケインズの言葉を紹介します。

「何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとする、(投資への)決意のおそらく大部分は、アニマルスピリッツ(血気)と呼ばれる・・人間本来の衝動の結果によって行われるのである」(一般理論12章)

「物価が毎月上昇している時期には、企業家はそれ以上に大きな利益を得る機会に恵まれる」(インフレーションとデフレーション)

「大きな戦争がなく、人口の極端な増加がなければ、百年以内に経済的な問題が解決する」

 (孫の世代の経済的可能性 1930年)

〇バフェットが学生に語った成功の鍵

投資を学ぶニューヨークにあるコロンビア大学の学生達がバフェットを訪ね、「成功の鍵は何ですか」と質問しました。

バフェットが答えたのは食事をコカ・コーラとハンバーガーですますライフスタイルでも、投資戦略でも、グローバルな投資家同士のネットワークでもありませんでした。

「あれです」彼が指差した先にあったのは、新聞5紙、企業の財務資料、本の山でした。バフェットは長い時には起きている時間の80%を読書に費やしているといわれます。

「毎日500ページは読むことです。知識は、複利のように積み上がっていくものなのです。これが成功の鍵で、誰にだってできることです」そして、最後に付け加えました。「ですが、本当にそうする人は、まずほとんどいないでしょうね」

 私は投資を自分ではいたしませんが、バフェットの姿勢を学び、新聞5紙(海外2紙含む)を読み、毎日、500ページは無理としても、読書に勤め、これからの仕事に活かしたいと思います。

2023.04.24 日本の観光産業は国際競争力4位・・松下幸之助の観光立国

謹啓、穀雨の候。まもなくゴールデンウィークがやってきます。旅行者総数は、コロナ前の2019年並みに復帰し、2450万人に達するとの予想です。インバウンドにおいても、3月には訪日外国人数が181万人と、コロナ前の約7割に戻りました。大阪のIR(カジノを含む統合型リゾート)が認定を受け、2029年開業に向けて動き出しています。

〇松下幸之助の観光立国論

松下幸之助は、まだ日本を訪れる観光客が5万人に過ぎなかった昭和29年(1954)の文芸春秋五月号に「石炭掘るよりホテル一つを」と「観光立国の辨」を発表しました。

ともすれば、観光産業が低く見られていた時代。日本経済を引っ張る製造業のスター経営者が観光産業振興を提言したことは注目されました。

アメリカの視察でハワイに行った松下幸之助は、「私がハワイに行って驚いたことは、(中略)観光客が落とすお金で、街は見事に舗装され、人々はのんびりと豊かに暮らしていた」という感想を持ちました。

また、「あらゆる観点から国の資源を最も適切に活かさなければならない。わが国で最も重要なものは、天然の景観美である。ハワイのホノルル、ワイキキの浜も世界に名高い風景であるが、日本の景観美に比べると遠く及ばない。特に、持っている人が持たない人に与える相互扶助の理念から考えると、瀬戸内海をはじめとする日本全国の美しい景観は、日本人だけが楽しむものではないと思う。これらを世界に広め、自然に生じる利益を、日本の産業などに投資し、活用することで、観光業の真の使命があるのではないかと考える」と述べています。

さらに、「いわゆる物品の輸出貿易は、日本の限られた資源を出荷することになるが、富士山や瀬戸内海は、見ても減ることはない。運賃も必要ないし、箱詰めも不要だ。(中略)こうしたうまいビジネスは、他にはないと思います」と述べています。

当時、「見世物産業」と軽んじられていた観光業に光を当て、「観光立国」を唱えた先駆的な経済人が松下幸之助でした。おそらく、日本で初めてだったと思います。

私自身も、松下政経塾の3年生のとき、観光産業の巨頭である西武グループの堤義明氏と松下幸之助塾長との会談に同席し、その後、実習として2年間、西武でお世話になり「観光産業」を身をもって学びました。

その頃、西武ライオンズが本拠地として所沢を選び、所沢開発を進めたり、北海道の富良野の開発を進めていたため、大いに学ぶことができました。

〇日本の観光産業は競争力世界第4位

 日本の将来をみるとあまり良いものはありません。

IMDが発表する世界競争力ランキングでは、1991年には日本が1位だったものの、現在は31位にまで低下し、中国にも抜かれるなど、低下が続いています。

ただし、世界の観光競争力ランキングを見ると、日本は世界で第4位となっています(世界経済フォーラムのデータをもとに、ニッセイ基礎研が算出)。1位はスペイン、2位はフランス、3位はドイツであり、イタリア(8位)、スイス(10位)、中国(13位)などよりも上位に位置しています。

それぞれのインバウンド数を見ると、スペインは8227万人、フランスは8692万人、ドイツは3888万人でした(2019年、コロナ前)。

一方、日本は3119万人であり、スペインやフランスと比較するとまだまだ伸びる余地があるようです。政府が掲げる2030年までに訪日外国人6000万人という目標も、政策次第では達成可能だと思われます。

〇少子高齢化は東京、大阪の商店を壊滅させる

少子高齢化が問題となっています。第一生命経済研究所は、人口減少の結果、実質国内総生産(GDP)成長率は30年代には0%台前半、40年にはマイナス成長に陥ると予測しています。

当然に、その影響の一つに国内消費市場の縮小があります。2015年の国内消費市場規模は158.4兆円でしたが、約30年後の2050年には121兆円に減少すると予測されています。特に、実店舗での購入額は145.9兆円から64.1兆円に激減するとされています。(「エコノミスト」2022年1月4日号)

このような状況では、地元商店街の飲食店や商店が後継者難に陥るのは当然のことです。先が見える人ほど、後を継がない傾向にあります。

しかし、この問題は地方だけの問題ではありません。消費額が最も大きく落ち込む都道府県は、ワースト1が東京都(8699億円減)、ワースト2が神奈川県(5875億円)、ワースト3が大阪府(5689億円)となっています。首都圏や関西圏でも消費額が大きく減少する見込みです。

これまで、地方から首都圏や関西圏への一極集中により地方商店街がシャッター通りになり、疲弊していたとされていますが、今後の30年間はまだかろうじて残っている首都圏、関西圏が沈む状況となります。人口についても、神奈川県(81万人減)や大阪府(150万人減)が減少する中、東京都は9万人増加すると予想されていますが、それでも消費額は減少することになります。

 1990年は日本経済のピークであり、当時アメリカの人口は約2億5千万人で、日本は1億2000万人で約2分の1でした。2023年においても、日本の人口は1億2400万人で横ばいのままですが、一方でアメリカは3億3500万人に増加しました。アメリカの人口増加の原因は、多くの移民がいることにあります。

日本で移民政策をとることは歴史的経緯から考えても現実的ではないと思います。英語ではなく日本語が社会で使われているため、移民する側も躊躇するでしょう。そのため、短期的な移民である外国人観光客を増やすことが賢明な方法だと思われます。

 

〇シンガポールIRをモデルとせよ

大阪にIRが誘致されることは、観光振興の起爆剤になると考えられます。世界的にIRが広がった要因は、MICEというキーワードにあります。MICEとは、Meeting(会議、セミナー)、Incentive tour(報奨旅行、招待旅行)、Conference(国際会議、学会)、Exhibition(展示会)の頭文字をとったもので、主にビジネストラベルや商用観光客をターゲットにします。ビジネスユースでは、多くの集客が一度に行えるため、消費額も大きくなります。

しかし、IRにはカジノが含まれます。そのため、「ギャンブル依存症が増えるのではないか」「反社会勢力が関与して治安が悪化するのではないか」といった懸念があります。これに対し、建国以来カジノが禁止され、厳しい規制で有名なシンガポールが、国民的議論の中でIRを導入した例があります。

シンガポールがIRを導入した際に行われた、リー・シェンロン首相の国会演説には次のようにあります。「政府が検討しているのは、あくまで統合型リゾートであり、カジノではありません。・・・シンガポールでカジノを認めるか否かであれば、政府の決定は明白です。・・・我々の目的は統合型リゾートによって、富を生み出し、雇用を創り出すことです。」

また、治安を担当するウォン・カンセン内務省も同じ日に発言しました。「もしもシンガポールが検討しつくされた解決法という安全な選択肢にこだわれば、我が国の成長は停滞します。・・・行動を起こすことに躊躇したなら、将来、その事業が近接都市で実現した時に、我々はみずから選択した慎重なアプローチに後悔することになるでしょう。」

2010年には、シンガポールに「マリーナ・ベイ・サンズ」と「リゾート・ワールド・セントーサ」という2つのIRが開業しました。外国人観光客数は、開業後(2013年)には1550万人と大きく跳ね上がりました。

 

〇カジノでの経験

 私は1月にシンガポールで講演をさせていただきましたが、その際の会場は「マリーナ・ベイ・サンズ」というIRでした。このIRの近くには1万1千人規模の国際会議が開催できるコンベンションホールもあります。また、私はカジノにも行ってみました。ドレスコードはなく、カジュアルな格好の人たちがゲームに興じていました。入場にはパスポートチェックがあります。私はかなりスマートになったので、「写真と違うのでは」とかなり厳重にチェックされてしまいました。シンガポールのシステムにはさすがだと感心しました。(笑)

ベイサンズホテルは、屋上のプールが有名で、ソフトバンクがSMAPのCMに使用したこともあります。私はベイサンズホテルで担当してくださった日本人コンシェルジェに「カジノができてどうですか」と尋ねました。その答えは「潤いが生まれたと思います」というものでした。

朝食は、ベイサンズホテルのメインビュッフェとプール横のレストランで取りました。日本のホテルビュッフェと同じように、卵料理が注文できました。ところが、出てきたオムレツは日本とは異なり、フワフワではなく形も崩れていて、まるでお好み焼きの失敗作のようでした。これでは、「日本にIRができたら勝てるな」と思いました。

このゴールデンウィークは是非とも、日本の「観光立国化」は可能かを考えていただきたいと思います。

2023.04.04 重役、部長になる方法

入社式、入学式の季節です。

松下幸之助が早稲田大学に招かれ、講演をしました。昭和36年のことでテーマは「運と人生」でした。そのなかで、ある会社の入社式で話した事を紹介しています。

〇重役、部長になる方法

「立身出世というと語弊がありますけれど、やがて部長とも重役となられることは、やはり皆さんの希望と考えてよろしいでしょう。間違いなく重役、間違いなく部長になる方法を教えましょう」

 皆、聞き耳を立てていたそうです。天下の松下幸之助が、重役、部長になる方法を教えてくれるというのですから。

 その方法とは「入った会社をいい会社だとほめる事」。

「この会社に入ったことは非常に縁あることでこれは宿命なんです。だから一年発心して・・家に帰ったらお父さん、お母さんに『今日、入社式に行ってつくづく考えた。こんないい会社はないと思う』と言いなさい・・・まず、成功の第一歩はこれだ。

そして友達にあったら『俺の会社は入ってみると思ったよりいい会社や。・・俺はこの会社と運命を共にすることを決めた』・・これに終始一貫しなさい。そうしたら君自身もやがてそうなってくる(笑)」 

ただし、これを徹底してやること。いったんその道に入ったなら、心身ともに打ち込んで、言動がそうなれば、周りがほっておかない。だから、重役、部長になることは保証するというものです。

正直言って、最初聞いた時は、「なんだそんなことか」と思いました。その後、経験を積み、「縁あった会社をほめる事」の深い意味がよくわかってきました。

〇時給にふさわしい仕事を

 私は大学を卒業後、直接、松下政経塾に入りました。新入塾生の私たちに、多くの先生から塾生としての在り方に対し、お話を伺いました。その中で印象に残っているのが後に経済同友会の代表幹事も務められた牛尾治郎さんの話です。政経塾の最終三次試験は松下塾長の面接でしたが、牛尾さんは私の二次試験の面接官でした。

牛尾さんのお話は第一に「時給、付加価値の意識を」、第二に「指導力の七割は職人的能力」、第三に「判断は天守閣で」というものでした。

 牛尾さんは政経塾の理事でした。「私は理事の一人として、あなたたちには1分15円のコストがかかっているから、45円の付加価値だけは十分につけてほしい」ということだけは言いたいというものでした。

 政経塾は、大卒初任給程度の研修資金が支給されます。当時は10万円程度だったと思います。年間120万円。年2000時間働くとして、1時間600円。一分15円。健全な企業というのは人件費は付加価値の3分の一でなくてはならない。したがって、3倍の45円の価値を生むべきだというものでした。これは、会計学を学んだ私はすぐに理解できました。

 新鮮だったのは、日本企業で、節約のために、封筒を裏返して使えというところが多いが、それはおかしいという発言でした。封筒を裏返して5分間もこねまわしているなら、200円もかかることになる。それなら15円か30円の封筒を買ってきてどんどん仕事をしてもらった方がいいというのです。

 私はこれを時給と付加価値にふさわしい仕事をしろということだと受け止めました。国会議員は私の頃は年間2400万円の報酬でした。国会議員は休みが少ないですから300日働くとして、1日8万円。8時間働くとして時給1万円。時給1万円にふさわしい仕事をすべきと肝に銘じ、コピーなどはスタッフにしてもらい、自分は日本の針路を考えるのに専心していました。

 すでに8年前になりますが、孫正義氏の後継者として招聘されたニケシュ・アローラ氏の年棒は165億円。1年200日働くとして、1日約8億円。時給は1億円。15分のミーティングで国会議員の年棒、2500万円になります。それだけの価値があったかどうかはあえて申しません(笑)

〇指導力の7割は職人的能力、だから学べる

 政経塾で学ぶにあたって一番言いたいことは「指導力の7割は職人的能力だ」ということだと牛尾さんは言われました。

 

日本の彫刻職人は非常にいい彫刻の構想を持っているけれど、彫刻職人としては二流。イタリアの彫刻家は、彫刻のイメージとしてはギリシアなどの古いものの真似ばかりしている。しかし、彫刻という基本的な職人技術を身に着ける環境がイタリアにはあるので、超一流の職人にはなれる。そのなかから芸術的感性のある人が有名な芸術家になるというのです。

 このことは企業経営でもいえる。企業経営は実は7割は職人技術である。そのうえで「新しい時代はどうあるべきか」というのであれば経営はうまくいく。しかし、ビジョンと構想だけがあって、経営職人としての技術がない人は失敗して倒産してしまう。これは、ベンチャー企業経営者とよく話す私には実感できることです。

 指導力、リーダーシップも同じで、基本的に職人的技術である。その職人的技術というのは、結局、徒弟奉公に近いようなたゆみない訓練による熟練によるものでしかないというのです。

 この牛尾さんのご指摘は、裏返してみると、誰でも、訓練と熟練という努力によって指導力を身に着けることができる。つまり、学べるということです。新人の皆さんには、ぜひ努力して指導力を身に着けてくださるようにお伝えください。

〇判断は天守閣で

 もう一つ記憶に残ったのは牛尾さんが大事な判断をする基準は、視野の広さ、視野の長さであり、そのためにふるさと姫路城の天守閣に登って判断するといわれたことです。

この裏付けとなったのが、英国での経験です。英国のウェールズに電気会社の工場ができました。そのころ、英国病と言われていました。そこで、日本式経営を導入してよい製品を作れるようになったのです。

日本的経営というのは、工場長、部長という幹部も社員食堂で皆と同じ食事をして、同じ作業着を着て、土日には社員旅行のようにバーベキューをした。つまり、グラウンドにおりるリーダーシップを導入したのです。

ところが、その工場長は、「短期的にはこの工場は成功した。しかし、長期的には世界で負ける」として辞めてしまったというのです。

彼は、オックスブリッジのエリートでした。オックスブリッジというのはオックスフォード大、ケンブリッジ大を出た人という意味で、世界を代表するリーダー教育を受けた人でした。そこでは、リベラルアーツを学び、ノーブレスオブラージユなどのリーダーとしての行動を学びます。

牛尾さんは「たしかに、民主的な指導者は増えたけれども、目線が低くて、グラウンドの目線でジャッジしている人があまりに多い。そこに今の日本の不幸がある」と言われました。

短期の判断はグラウンドでやっていい。しかし、中期、長期の判断は天守閣に登って、決定しなければならないということでしょう。

その後のイギリス経済の復活、日本の衰退をみると、あまりに判断を天守閣でするリーダーが少なかったことを実感します。

入社式の挨拶、あるいは新人研修での話は新人にとって大きな意味を持ちます。是非とも、新人の皆さんの人生に影響を与える話をしていただきたいと思います。 

2023.03.20 地政学で見る日韓関係

 韓国の尹(ユン)大統領が3月16日に日本を訪問され、岸田総理と会談しました。すき焼きの後、銀座の煉瓦亭でオムライスを一緒に食べました。「首脳同士の食事でオムライスか?」という意見もあります。二人はシャトル外交に合意しました。これからは「友人関係」になるとして気楽な食事をしたのは良かったと思います。

〇アジアに友達がいない日本

 ドイツ、フランス、イギリスの首脳はウクライナ問題などで見られたようにも、すぐに集まってシャトル外交を展開します。

パリとベルリンの距離は878キロで東京―札幌とほぼ同じ。パリとロンドンに至っては343キロで東京―大阪の約400キロより近いのですからシャトル外交もしやすいでしょう。

 もうひとつ、シャトル外交がしやすい理由は、それぞれの国の一人当たりのGDPなど経済水準が似通っていて、「友人」としてつきあえるからだと思います。

2001年に(私は衆議院議員でした)、ドイツ統一を推進したシュミット元首相にお会いしました。その時、「日本はアジアに友達はいるのか」と聞かれたことがあります。私は「アジアはヨーロッパと違い、日本のGDPだけが突出している。歴史的な経緯もあり、なかなか友達関係になれるような国はない」と答えました。

〇給料は韓国の方が上

その当時、NHKで「冬のソナタ」が放送されていました。それから20年。韓国の所得は3倍になり、日本は横ばいのままです。韓国は重工業化の「漢江の奇跡」。いちはやくIT革命を推進した「江南スタイルの奇跡」を起こしました。

現在の一人当たりGDPは日本40170ドル(世界銀行データ)、韓国33190ドルですが、このままだと近い将来、日本が抜かれるだろうと予測されています。購買力平価でくらべるとすでに抜かれているという説もあります。

大学生にとって、日本で三井や三菱に入るより韓国のサムスンに入ったほうが給料が高いとはよく言われることです。

つまり、日本だけが経済力で突出している時代はすでに過去のものとなっているということです。東京とソウルは直線距離で1160キロ。東京-稚内とほぼ同じ、沖縄の那覇1554キロよりも近いです。是非シャトル外交を進めて、首脳同士の「友人関係」を造ってほしいと思います。

〇地政学の基礎・・ランドパワーとシーパワー

 「地政学リスク」という言葉がよく聞かれます。地政学の開祖とされる英国人、H.J.マッキンダーは下院議員、ロンドン大学政治経済学院の院長も務めました。 

マッキンダーは第一次大戦をユーラシア大陸のハートランドを制覇しようとするランドパワー(大陸勢力)とこれを制止しようとするシーパワー(海洋勢力)、英国、米国の、死活をかけた闘争であると見ました。その頃、ロシアないし、新興国ドイツなど、大陸内部に大帝国が出現する条件が萌し始めたのです。

 

ドイツではヒトラーがその政策的支柱にしたというハウスホーファーが知られています。

「国家はその国力に応じて、エネルギーを得るための領域、すなわち『生存圏』を獲得しようとするものである。それは国家の権利である」というものです。

 ランドパワーは生存権思想で領土を拡張しようとします。シーパワーは海ですから自由貿易で外に開こうとする傾向を持ちます。現代にあてはめるとロシア、中国などがランドパワー、米国、英国がシーパワーと言えましょう。

〇地政学で見る朝鮮半島

地政学でみると半島ほど危険なところはありません。ランドパワーが強くなり、世界に広がろうとしても、その逆でもつねに半島はその通り道になります。朝鮮半島を見ると元寇のときも通り道でしたし、どこまで本気だったかはわかりませんが、豊臣秀吉が明を攻めようとしたときも通り道でした。

 

議員時代、韓国の政治家と話した時、「朝鮮半島が北と南にわかれているのはランドパワーとシーパワーが均衡している形でかえって安定している姿ではないか」と発言し、激論になったことがあります。 

 私は地球儀を眺めるのが好きです。地球儀を見ていると、日本は安全保障上、極めて危険だということを実感します。日本の隣国は、ロシアと中国。ともにランドパワーで日本との間に領土問題を抱えています。北朝鮮とは正式な国交関係がありません。

シーパワーのアメリカは太平洋があり、はるか遠くなのです。ワシントンまではANAの直行便で14時間かかります。

島国の日本にとって朝鮮海峡があることは、軍事費にして2%の価値があると国際政治学者の高坂正堯先生から教わりました。陸続きであったら大変です。

何にしても朝鮮海峡をはさんで隣国である韓国の首脳と日本の首脳が「友人関係」にあることは安全保障上良いことだと思っています。

〇タクアンとキムチを乗り越えよ

 1981年、私は松下政経塾に2期生として入塾しました。4月下旬、松下幸之助塾長の初講義が行われました。松下塾長は韓国を訪問したばかりでその時の状況を述べられ、「あの国は伸びる。皆さんは韓国をきちんと研究しないかんな」と言われました。

 

 1984年、私は政経塾有志で「松下政経塾韓国研究会」を結成し、訪韓しました。5時になると、国歌が流れ、皆が国旗降下を直立不動で見るという時代でした。当時の日本のGDPは3兆4979億ドル、韓国のGDPは2245億ドルと15倍以上でした。一人当たりのGDPでも4倍以上でした。

松下幸之助塾長が韓国で尊敬される経営者であったこともあり、たしかKBSだったと思いますが、テレビにも出演しました。「日韓関係に命を懸ける青年たち」と紹介され、大げさな表現にびっくりしました。

ただ、韓国では「命を懸ける」というのはよく使われる表現だとは後で知りました。韓国ドラマを見られる人は「命を懸けて彼女を守ります。(モクスムル コルゴ クニョルル チッキゲッスムニダ)」というのをよく聞かれると思います。

 韓国と日本は似ているようで文化に差があります。「泣いて謝る日本」対「泣いて怒る韓国」。「お通し有料の日本」対「たくさんのオカズがおまけの韓国」。「建前の国日本」対「本音の国韓国」とか、まさにタクアンとキムチの違いがあります。

 

まずは尹大統領と岸田総理のように交流を盛んにする。そして、韓国との、タクアンとキムチの文化摩擦を乗り越えてゆく。それが日本の国益にもビジネスにも良いことだと思います。 

2023.03.06 出生数80万人きる、どうする日本

「出生数80万人割れ」を歴史的に考える

 2022年の国内の出生数が80万人割れとなったことが話題になっています。前年比5.1%減の79万9728人。80万人割れは、統計を取り始めた1899年以来初めてで、想定より11年早く少子化が進みました。

 自然減は78万2500人。山梨県が80万人でほぼ同じと報道されていますが、山梨県の人口は47都道府県中41位。以下、佐賀県(80万)、福井県(75万)、徳島県(70万)、高知県(67万)、島根県(66万)、鳥取県(54万)です。毎年、これらの県が消えてゆくということになります。

〇明治維新の頃、日本人口は3300万人 

 講演でもよくお話しますが、私は「困った時ほど遠くを見よ」とし、「歴史を鏡」として長期的に歴史で考えるようにしています。

 明治維新の頃の日本の人口は3330万人でした。それが2010年には1億2800万人と約150年間で1億人増えます。この間は日本の人口激増期でした。つまり、特別な時期だったのです。

 日本の人口は2050年に9500万人になると言われています。ドイツが80年代に1.2であった出生率を1.5にしたとして「小さな奇跡」と評されています。そのドイツの面積は35.7万平方キロと38万平方キロの日本とほぼ同じ。ところが、人口は8177万人です。2050年の日本は今のドイツよりも人口が多いのです。

〇江戸時代の男性未婚率 46%

応仁の乱の頃(1467-1477年)、人口は1000万人でした。この時代は、結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られていて、使用人などの隷属農民たちは生涯未婚が多かったのです。

武田信玄など戦国大名の規模の大きな領内開発で、経済が発展します。小農民が自立すると、皆が結婚する「皆婚社会」化によって出生率が大きく上昇しました。大河ドラマで「どうする家康」を放送していますが、関ケ原の戦い(1600年)の頃、人口は1700万人に増加しました。

江戸時代も皆婚化が進みます。現在の中津川、馬籠の近くである信濃国湯舟沢村に記録が残っています。それでも、1675年、男の未婚率は全体で46%でした。

それが、1771年時点で、男の未婚率は30%にまで下がります。この傾向は日本全体に及び、人口は3000万人を突破します。ほぼ倍増したのです。ちなみに2022年の男性未婚率は28.3%ですからその頃と同じです。

〇人口停滞の原因は三極集中

その後、人口は停滞します。明治維新までの150年間、3300万人と1割しか増えません。

この人口停滞の原因は江戸、京都、大阪への三極集中であると言われてています。一極集中の結果、衛生環境が農村より極めて悪くなり、都市=アリ地獄とも言われました。

また、現在と同様に都市では長屋に住めればいい方で、住環境も悪く、家族を持つことは困難になり、出生率が下がってゆきます。

カリフォルニア・バークレー校の教授で、日本研究センター所長のトーマス・スミスの調査によると、三都や多くの城下町は江戸時代後半に人口規模を縮小させたと立証されています。つまり、三極集中が住環境悪化、未婚化の上昇、人口停滞を招いたのです。

現在にあてはめると東京一極集中が人口停滞を招いているということでしょう。

〇寛政の改革にあった地方移住政策、人口回復政策

 コロナ禍で働き方が変わり、地方への移住を考える人が多くなり、いくつかの地方移住政策が喧伝されています。

 1787年、田沼政治を否定し、老中首座となった白川藩主、松平定信が寛政の改革を断行します。天明の飢饉の際にも領内から餓死者を出さなかった藩政改革の手腕を買われ、期待をもたれての就任でした。

 

定信が行ったことの第一が、江戸に流入した農村出身者の帰農を奨励する旧里帰農令。国への旅費・食料、農具代などの補助金も出すというもので、地方移住策に似ています。

さらに、「間引き禁止」と養育資金給与などで人口回復策をとりました。養育資金給与など国会で議論されている「児童手当倍増」に似ていると思います。

また江戸、石川島に職業教育の為「人足寄場」を創りました。これも「リ・スキリング」に似ています。

これらの施策は直接的にはどれもうまくいきませんでした。ただ、定信が行った文武奨励策は長期的に効果を発揮します。

天明期(1781-1789年)に全国で寺子屋が普及します。江戸では一町内に3から4軒ありました。農村でも読み書きソロバンを教えました。「読み」を覚えた農民は農作物の栽培方法、家畜の飼育方法の書かれた「農業全書」を読むようになり、生産性が上がります。

これからなら、読み書きソロバンに変わって「読み書き(英語)AI」が全国に広がることが必要でしょう。大学入試科目にAIでもいれれば、日本のことですから一気にAI大国になると思います。

さらに、文武重視の寛政の時代は「名君の時代」でもありました。ケネディ大統領も尊敬した米沢藩主上杉鷹山や、老中を辞めた後、白川に戻った松平定信は藩経済の改革、今でいう「地場産業おこし」を進めます。これも全国に広がり、明治以降の経済発展につながります。今、多くの国会議員経験者が市長となり、改革を進めています。期待しております。

〇「適疎」の国土政策を

明治の最初に「これから日本の国土に1億人増える」と言われたら、皆、不安になったでしょう。答えが出せるリーダーはいなかったと思います。

しかし、なんとかやってきたのが日本ですから、これからどんどん人口が減っていってもどこかで反転させるか、新しい国土の在り方を考えて乗り切っていくのが日本人ではないかと思っています。

コロナにより働き方も変わったのですから、これを好機と捉え、落ち着いて国土政策を考えることが、長期的に見て人口回復策につながると思います。

 その一つの考え方が、「過疎過密」でなく「適疎」、適切な疎というところです。日本の人口密度は332人でG7中トップ。2位のイギリスが276人、3位のドイツが233人です。フランスは5位で118人。つまり、日本は先進国の中で過密なのです。フィリピンが日本とほぼ同じの357人です。

 イギリスやドイツの人口密度が「適疎」でそれが美しい街並みにつながっていると思います。人口減少の視点を変えて、これからは「適疎」な国土政策を展開する。それが長期的に見れば、住環境を変え、地方を活性化させ、人口を回復させることになると思います。

 

特に、これを担う地方のリーダー、経営者の役割は重要です。明治時代の文豪、徳富蘆花は「英仏の例を見ると、国家の実力というのは地方に存在する。地方の血液が新鮮であれば、国は元気旺盛である」と語っています。私も全く同感です。 

2023.02.20 豊田綱領と日本型パーパス経営

 日本を代表する企業であり、日本時価総額第一位のトヨタが転換期を迎えようとしています。「三河モンロー主義」を脱し、「世界のトヨタ」に育てあげた名誉会長の豊田章一郎氏が97歳でご逝去なされました。2009年から14年間トヨタ社長をつとめた豊田章男氏が4月1日より社長から会長となり、53歳の佐藤執行役員が社長に就任します。

佐藤新社長は、「EVファースト」を掲げ、世界に遅れをとったEV化路線へ大きく舵を切ろうとしています。EV向けに最適化したテスラの1台あたり純利益はトヨタの5倍強。中国EV大手BYDもトヨタに迫ります。その道は決して平たんでないナローパスですが、トヨタが変わらずに繁栄をし続けるには、変わらざるを得ないでしょう。

しかし、変わらず継承してほしいものがあります。トヨタの遺伝子に刻み込まれた「豊田綱領」とそれによって築かれた「日本型パーパス経営」の思想です。

〇日本型パーパス経営と豊田綱領

2月初旬、トヨタグループの有力会社から講演にお招きいただきました。いただいたテーマは、「日本型パーパス経営と飛躍の経営戦略」というものでした。

パーパス経営とは2020年にビジネスラウンドテーブルが「企業は株主だけでなく、従業員、取引先企業、地域社会、地球関係などの利益に配慮すべきである」「企業は自社の利益の最大化だけでなく、パーパスの実現を目指すべき」というものです。ステークホルダーに目を向けて経営すべきという意味でステークホルダー主義とも言われます。

1990年代から21世紀初頭に市場経済重視、新自由主義を旗印とするノーベル賞経済学者、ミルトン・フリードマンが提唱した、「フリードマン・ドクトリン」が一世を風靡しました。「企業経営者の唯一の使命は株主利益の最大化であり、社会的責任を取らないでもたらされる利潤の最大化は善である」というものです。パーパス経営は「フリードマン・ドクトリン」を否定します。

パーパス経営を2021年のダボス会議が取り上げ、注目されたころ近江商人の「三方良し」こそ日本型パーパス経営だといわれました。「売り手良し、買い手良し、世間良し」というものです。

講演の準備をしている中で、豊田創業家がまとめた行動指針、「豊田綱領」を拝見しました。要約すると「自分の為、会社の為ということを超えて、『お国の為、社会の為』となれているかどうか。この価値観を全員が共有できているか」というもので、章一郎氏も常にこれを意識し、章男氏や次期社長の佐藤氏に引き継いだとされています。

豊田綱領を見ながら、これこそパーパス経営の思想そのものではないかと思いました。

〇フリードマン・ドクトリンの負の遺産がGEを没落させた

 GEは1892年、エジソンが創業し、単なる企業ではなく、米国そのものを代表する企業でした。GEは米国の成長と共に成長し、時代と共に進化し、創業以来最大の力を蓄えて21世紀に歩を進めました。2000年のピーク時には、米国で最も価値のある企業となり、その企業価値は6000億ドルに迫りました。

 

その推進役だったのが、フォーチュンで「20世紀最高の経営者」に選ばれたジャック・ウェルチです。「市場で1位か2位になれる事業だけに集中すべき」という「選択と集中」経営戦略は当時、もてはやされました。しかし、歪みも大きかったようです。

ジャック・ウェルチは、「フリードマン・ドクトリン」を地で行くような利益と株価を最大限に追求した経営を行いました。当時のGEでは業績目標がまず決められ、どうやってそれを達成するかは二の次でした。目標達成はあらゆる手段を正当化しました。目標達成に必要な数字が各事業に割り振られ、方法はどうであれ、数字を達成することが厳しく求められました。

利益を上げるためにウェルチは徹底的な人員整理を行いました。彼はCEO在任中に全社員の4分の1にあたる10万人以上の社員を削減しています。

ウェルチは環境問題に対しても消極的でした。自社工場の廃棄物が原因となったハドソン川のPCB汚染問題では、土壌汚染を浄化する費用で政府と激しく対立します。自社の利益を優先する不誠実な姿勢に対して社会から強い批判を浴びています。フリードマン・ドクトリンを体現する経営だと言っても過言でないでしょう。

社外取締役を務めていると、この思想に影響を受けた、かつての「大企業役員経験者」に時々遭遇することがあります(笑)。

ウェルチの後任CEOのジェフリー・イメルトには私も何度かお会いしました。初対面の時、Senior Vice President of CEO officeという私の名刺を見て、「孫さんのもとでやるのは大変でしょう」と明るく、孫社長にも聞こえるように大きな声で話されていました。

ジェフリー・イメルトは、ウェルチのフルードマン・ドクトリン経営がもたらした「負の遺産」に悩まされます。

稼ぎ頭だったGEキャピタルはリーマンショックの打撃をもろに受け、大量の不良資産を抱え込みます。その結果、GEは深刻な経営危機に陥ります。

社員のモラルも下がっていました。上司が部下のパフォーマンスを評価し全社員をランク付けする「ランク・アンド・ヤンク」という制度を導入し、毎年下位10%にあたる社員が解雇されました。社員は常に競争意識をあおられ、強いプレッシャーとストレスを受けていました。

イメルトはデジタル事業に注力することでGEを再生しようとしました。しかし、結局、金融事業の代わりになるほどの成果は生み出せず、社員からの協力も得られないまま退任します。 

 

GEは2024年までに電力、医療機器、航空エンジンの3つの事業会社に分割され、それぞれの会社が株式を上場する計画です。アメリカきっての名門企業はあえなく解体となり個々に再起を期すことになったのです。(「GE帝国衰盛史」ダイヤモンド社を一部参考)

〇「志魂商才」のススメ

日本資本主義の父と言われ、来年から新一万円札の顔になる渋沢栄一は、世の中に役に立つという武士道と商才の融合が必要と「士魂商才」を唱え、志の書「論語」による経営を勧めました。21世紀の日本企業は一歩を進め、「志魂商才」による経営を進めるべきと思います。

松下幸之助は昭和7年、37歳のとき「物資を水道の水の如く、安価無尽蔵に供給して、この世に楽土を建設することが使命である」としました。貧乏を克服する「水道哲学」を経営の「志」としました。「志魂商才」の魁と言ってよいでしょう。

企業にとっての「志」とは「会社」の枠組みを超え、社会、国家、世界をいかに変え、貢献するかというものです。

幸いに、ミッションからパーパスへの動きの中で、「志魂商才」をとなえる企業も増えてきました。

ジェームズ・コリンズの著書で日本唯一のビジョナリーカンパニーとされたソニーは「ユーザーの皆様に感動をもたらし、人々の好奇心を刺激する会社であり続ける」という旧ミッションを、「クリエイティビティとテクノロジーの力で世界を感動で満たす」にしました。

サイバーエージェントは「21世紀を代表する会社を創る」というミッションを基盤に昨年「新しい力とインターネットで日本の閉塞感を打破する」というパーパスを発表しました。

フリードマン・ドクトリンを脱し、日本型パーパス主義である「志魂商才」で経営をすすめる事が企業が長期的に飛躍し、日本経済が復興する道であると思います。 

2023.02.06 シンガポールで「出島構想」を考える

謹啓 立春の候 コロナを5月から5類にすると岸田総理が発表しました。もうそろそろ海外出張も良いだろうと思い、シンガポールで開かれたメガバンク主催の会で講演させていただきました。

 2019年12月の中国深センでの講演以来ですから3年ぶりの海外出張。羽田空港での保安検査は今まで経験したことのないような長蛇の列で40分以上かかり、前途多難を思わせました。

 ところが、シンガポール、チャンギ―空港ではすべてがデジタル化されており、極めてスムーズ。会場のマリーナ・ベイ・サンズのホテルに宿泊したのですが、50階の窓から見えるガーデンズ・バイ・ザ・ベイのイルミネーションショーも美しく、活気があり、港には多くの船が停泊し、シンガポールの勢いを思わせました。

〇シンガポールをライバルと思う首長を

 シンガポール成功の原因は、政治のリーダーシップ、外資誘致、高度な教育制度の3つと言われます。

 私が松下政経塾で学んでいた1980年代、松下幸之助塾長がリー・クアンユー氏にお会いしたということで、シンガポールについて話されたことがあります。

「各国の企業はどんどん来てください。10年間は無税ですよ。儲け次第です(笑)とやるから世界の企業が出てくる。税を取らない代わりに他人の力によって金も技術も持ってくる。そこへ建ったものはシンガポールの国のものですわな。持って帰ることができない。他人の力、他人の知恵で自分の国を立派にする。非常にうまいやり方です」

 シンガポールの成功の要因の一つである外資誘致について述べたものです。シンガポールの外資誘致は成功しました。外資系企業は現在4000社に上っています。

 面積は20年現在で728平方キロ。よく、東京23区の626平方キロと同じくらいと言われますが、1965年の独立時の581平方キロから埋め立てを進め、25%も国土が増えています。「明るい北朝鮮」といわれることもありますが、政治のリーダーシップが発揮されている証拠でしょう。

 

今年は統一地方選挙の都市です。シンガポールの人口は545万人で北海道517万人とほぼと同じです。神奈川923万人、大阪878万人は独立国といってもいい人口です。北海道も含め、いずれも3月23日告示、4月9日投票です。静岡、浜松など政令市長選挙も目白押しです。知事も政令市長も大統領制並みのかなりの権限を持っており、シンガポール並みの地域経営をすることも可能です。知事選で、シンガポールがライバルと思うような首長が当選され、日本全国で外資企業誘致競争が起きることを期待します。

〇シンガポール出島構想

 世界の大学ランキングでは日本の東大、京大は国立シンガポール大学の後塵を拝しています。最新の英国、タイムズ・ハイヤー・エデュケーションのランキングによると1位がオックスフォード、2位がハーバード、シンガポール大学が19位です。東大は39位、京大が68位ですからかなり差をつけられています。

 これに準じてでしょう。シンガポールにはAI革命などのパラダイムシフトに乗ったユニコーンが12社もあります。日本のユニコーンは10社しかありません(22年11月時点)。

今から5年前の2018年、時の安倍総理が未来投資戦略で2023年までにユニコーン20社という目標を立てました。私も大変期待していたのですが、達成率50%に終わりました。

 岸田総理が2027年度までに「ユニコーン100社創出計画」を発表しました。スタートアップへの投資額を現在の8000億円規模からこれも5年後の2027年には10兆円規模と10倍増にすることをシンガポールでの講演でも話しました。でも、反応はかなり薄かったです。 

考えてみれば人口545万人の国に12社のユニコーンがあるのですから、人口1億2000万人の日本なら100社あっても当たり前で、画期的な政策でも何でもありません。比率で言えば、200社あって当然ということになります。

 岸田総理は海外における起業家拠点としての「出島構想」を発表しています。2027年までに起業家を1000人派遣する目標だそうです。シリコンバレー、ボストン、このところ成長著しく、テスラのイーロンマスクの住んでいるオースティン。イスラエル、北欧のほかにシンガポールも候補地として上がっています。

 私はシリコンバレーや、ボストンよりもシンガポールのほうが日本人若手起業家の活躍できる可能性が高いと思っています。

 その理由は第一にアメリカよりアジアの方が日本人のビジネス文化に会うこと。孫正義が投資に大成功したヤフーも場所はシリコンバレーでしたが、創業者はアジア人でした。もう一つのアリババも、中国、アジアです。

 第二にシンガポールは日本とウィンーウィンの関係を作りやすい東南アジアのビジネスのハブであるということ。ウクライナ侵攻が長期化し、米中関係が悪化する分断された世界では、東南アジアが漁夫の利(?)を得て、成長の可能性が高いです。

 第三の理由は、私のカンです。松下幸之助も孫正義も21世紀はアジアの時代と言っていました。2050年の世界のGDPランキングでは、1位中国、2位インド、3位米国、そして4位はインドネシアと予測されています。シンガポールは世界のGDP1位、2位、4位の国のビジネスハブになるのです。

 多くの人が、シリコンバレーやボストンに行きたいと考えるでしょう。ただ私の周囲にいる若き起業家達には飛躍的に成功したいと思ったらシンガポールの「出島」を目指すべきと勧めています。

2023.01.24 ダボス会議2023

謹啓 大寒の候 富山県での講演にお招きいただきました。北陸新幹線「かがやき」の車窓から見る日本海は荒海でまさに「悲しみ本線日本海」でした。約3時間後、湘南に帰り海へ行ったら、穏やかで太陽がキラキラと輝いていました。湘南にいると、人生観がずいぶん楽観的になることを実感しました。

〇ダボス会議の見通し、悲観から楽観へ

 1月20日まで、スイスではダボス会議が開催されていました。今年のテーマは「分断する世界での協力」。世界から集まった2700人の政財界のリーダーの予測は悲観から楽観に変わりました。23年後半からよくなり、24年はもっと良くなるという予想です。

孟子にある「天下の英才を集めて教えることは君子の楽しみ」にならって、30代の将来有望な若手経営者のアドバイザーを何人かしております。彼らには、世界の動き、グローバルな視野を得るために、ダボス会議に参加することを進めています。

日本からは、河野太郎大臣、西村経済産業大臣ら議員の中で、自分は英語ができると思っている人(笑)が出席しています。敷居が高いと思われがちですが、日本からも若手経済人が参加しています。そこで、アドバイザーをしている若手経営者に進めている次第です。

今回注目されたのは、ゼロコロナ政策を転換した中国です。中国の経済運営を指揮する劉鶴(リュウ・ハァ)副首相は講演前に深々と聴衆にお辞儀をしました。珍しいことです。

「懸命に努力すれば、経済が正常化する可能性は高いと確信している」とし、「23年には著しく改善するだろう」と強調しました。

国際通貨基金のゴピナート筆頭副専務理事は、IMFが経済見通しを上方修正することを示唆しました。2023年は「前年より厳しい年」ではなく、むしろ年後半から24年にかけて「改善」が見込まれるとしました。

アメリカ、バイデン政権が総額3690億ドル(約48兆円)を投じて国内のグリーン投資を活性化する「インフレ抑制法(IRA)」も世界的に、評価されています。オーストラリアの自然エネルギー事業者、マーク・ハッチンソンCEOは、IRAに盛り込まれた税優遇措置は「非常に大きい」とし、「米国事業に可能な限り投資資金をつぎ込むつもりだ」と語りました。

昨年5月の総会では、ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン出席でわきました。今回も同じだったのですが、空席も目立ち、5月にはあった聴衆総立ちのスタンディングオベーションもなかったとのことです。ウクライナ問題に「疲れ」が出てきてもいるのでしょうが、冷静さを取り戻しているのも事実です。

〇韓国の30代経営者、毎年ダボスに

ソウルの汝矣(ヨイド)島に63ビルという地上60階の黄金色の高層ビルがあります。これは韓国の財閥、ハンファグループ所有なのですが、私は3年前からハンファグループの自然エネルギー事業を展開するハンファソリューションの取締役をしています。私の著書が韓国で出版され、ハンファグループの社長会で講演。その後、ハンファのオーナー一族の長男で、まだ30代のK副社長から取締役(社外)として招聘されるという韓国ドラマのような展開でした。

そのハンファソリューションがバイデン政権のグリーン投資活性化策を活かし、アメリカ、ジョージアに3300億円の太陽光パネル投資をすることを1月11日の取締役会で決定しました。この決定には、バイデン大統領自身が声明を出すという歓迎ぶりでした。このプロジェクトを実質上主導しているのが30代のK副社長です。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN11E0W0R10C23A1000000/

K副社長は、ハーバード大学卒。儒教文化圏である韓国で教育を受け、徴兵制のある韓国ですから、軍隊で訓練も受けているので、年長の私にたいへん礼儀正しい人でした。そして、ダボス会議には毎年参加して世界の動きを予想しているとのことです。

K副社長がダボス会議に参加しながら、グリーン投資の重要性とアメリカ、ホワイトハウスの動きをつかみ、今回の投資を進めたことは間違いありません。蛇足ですが、K副社長は後継者候補の一人ですので、このプロジェクトが成功すればその道を一歩進めることになるでしょう。

1人当たりのGDPで日本が韓国に抜かれる日も近いと予想されています。韓国の繁栄を素直に見なくてはいけません。そして、若手経営者が毎年ダボス会議に行ってグローバルに行動し、見識を高めている事実も素直に見るべきです。

 このメルマガを読んでいただいている若手経営者の方、あるいは後継者を教育しようとしている方はぜひともグローバルな視野を持ち、研鑽の在り方を考えていただきたいと思います。

 そして、第一歩としてダボス会議には毎年参加するか、少なくとも議論を注目し、世界の動き、トレンドをつかんでいただきたいと思います。

謹白

2023.01.10 京都で考えたイノベーション=新結合

本年は世界的にはインフレの抑制と成長の両立がテーマになります。

インフレ抑制の為に金融政策で金利を上昇させ供給を増加させ、成長を促進する為に時代を拓くイノベーションを促進することが重要になります。

1月5日、京都を本社とし、1年前に上場された会社の23年初出社式の講演にお招きいただき京都に行ってまいりました。

90年代生まれの若い人たちが多かったので、3年後の2025年には人間の労働量とロボットの労働量が同じになること。以前は、入社時にソロバン3級が必要だった。それが電卓になり、パソコンになりエクセルが使えないと仕事ができなくなったようにAIを使いこなせないと仕事ができなくなる。2025年までには世界で8500万人の雇用が無くなり、AIの専門家など9000万人の雇用が生まれるという話をしました。

 AIを使いこなすには、ビジネス力、データサイエンス力、データエンジニア力のスキルセットが必要です。スマホ革命の時代に、スマホをおもちゃのように使い倒したところから、イノベーションが生まれたように、若い人がAIを使い倒すところからイノベーションが生まれます。

〇日露戦争勝利の因は海底ケーブル

 会場のウェスティン都ホテル京都から「朝がゆ」で有名な瓢亭に向かって歩くと「無鄰菴」という山縣有朋の別荘があります。東山を主山とし、琵琶湖疎水からとった瀬音が楽しめる素晴らしい庭があり、茶室と洋館が立っています。

この洋館で、1903(明治36)年4月21日に日露戦争直前の日本の外交のゆくえを決める歴史的な会合が開かれました。出席者は枢密院議長伊藤博文、外務大臣小村壽太郎、総理大臣桂太郎、そして元老山縣有朋です。

その前年1902年、日本は日英同盟を結んでいました。英国に対抗し、露仏同盟で連携するロシアとフランス。極東へのロシア勢力拡大は心配だが、南アフリカ戦争の後処理で手いっぱいだったイギリスは日本にロシアを抑え込ませるため、「栄光ある孤立」を捨て、小国日本と同盟を結びます。無鄰菴会議で日露戦争への方針が議論されました。その決断を促したのが日英同盟締結であったことは想像に難くありません。

この日英同盟は20年以上継続し、日本外交の基本となるとともに1904年に起こる日露戦争での勝利をもたらしました。実は、この勝利には「海底ケーブル」というイノベーションがありました。

当時の英国は海底ケーブルを引きまくっていました。さらには007で有名な(?)諜報機関とあいまって世界の機密情報を集めていました。日本にも海底ケーブルがひかれており、機密情報が即時に入手できたのです。

海底ケーブル事業は、特殊ケーブルの開発、巨大敷設舟の建造などリスク高い事業でした。世界に植民地をもっていたイギリスは果敢に挑戦し、世界の海底ケーブルを席巻したのです。バルチック艦隊がどこにいるのか、補給でかなり苦しみ、士気が落ちているという情報は逐次、日本に入ってきました。

日露戦争は情報戦でした。英国による海底ケーブル、さらにはその使用を可能にした日英同盟が勝利を小国日本にもたらしました。日英同盟は小さな企業が技術も信用も持った大企業とアライアンスを組むようなものだったのです。

〇今年こそ、AIとの新結合=イノベーションを

小さな企業が大きく飛躍するには、イノベーションに着目し、それを使いこなすことが必要条件です。イノベーションは日本では「技術革新」と訳されますが、シュンペーターが

述べたのは、既存事業+テクノロジーで「新結合」を生むことでした。

Amazonは従来からあった、通信販売をインターネットと新結合=イノベーションした事で飛躍しました。サイバーエージェントは、広告業界でまだ発展途上だったネット広告に特化したことで、一時期、時価総額1兆円企業になりました。広告をテレビでなくインターネットで流すという新結合=イノベーションに成功したのです。メルカリはこれも従来からあったフリーマーケットをSNSと新結合したことでユニコーンへ飛躍しました。

今、AIに十分取り組んでいる、成果が出始めていると実感して企業はほとんど無いでしょう。15年前、iPhoneが登場した直後に、スマートフォンの機能を使いこなしている企業が無かったのと同じです。

既存事業にAIというテクノロジーを新結合させる挑戦を始めていただきたいと思います。

そうすれば、3年後の2025年にはAIイノベーションで飛躍した企業として、日本経済をリードしていると思います。

2022.12.26 桶狭間の時に信長はいくつか?

 講演にお招きいただき、ふるさと岐阜に行ってきました。11月の信長武者行列にキムタクが信長となり、岐阜市の人口を超える46万人が集まったことをニュースで見られた方も多いと思います。

織田信長の居城、岐阜城を仰ぎながら若き日に司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んで胸躍らせたことを思い出しました。

 織田信長が凄いと思うのは、戦略目標を見失わずに一直線の最短ルートだけをとったことです。信長も恐れた武田信玄や上杉謙信が川中島で5回も戦っていたのは、天下を取るという意味では遠くの局地戦に過ぎなかったのです。

 1934年6月23日に生まれた織田信長が歴史に躍り出る桶狭間の戦いは1560年、信長26歳の時でした。2代目経営者としてもかなり若いと言えます。

「天下布武」で自らのビジョンを明らかにしたのは1567年、織田信長33歳の時です。天下に武を敷き、天下を統一し、戦いのない平和な世のなかを創る。そのためには京都を抑えることが重要と見定めた信長は一直線に京都に結ぶ線だけを攻めました。

そして長期ビジョンの前に、短期的には小成功が必要と考えたのでしょう。明智光秀を介して、将軍家足利義昭を保護する立場となり、京都上洛を目指します。

 1567年に稲葉山城の戦いで尾張、美濃の二か国を領して京都への道筋をつけた信長は近江の浅井氏とは妹、お市の方を嫁がせるというヨーロッパ、ハプスブルグ家並みの婚姻外交をします。

そして、将軍足利義昭を奉じ上洛、1568年に京都の東寺に入ります。織田信長34歳。天下布武のビジョンへの短期目標であった「京都上洛」はわずか1か年で達成されました。

〇長期ビジョンと短期目標の成功

天下布武のビジョンが当時の織田家には途方もない目標で、家臣にとっては現実味が薄かったと思います。しかし、わずか1年で「京都上洛」を果たしたことは、家臣たちに「天下布武」もできない目標でないと思わせたのでしょう。

はるかに高い戦略目標を掲げながら、短期的には小さな成功を果たすことが重要です。その後、織田軍団は怒涛の勢いで日本統一に向かいます。やはり、長期的なビジョンを掲げることが重要なのです。

残念ながら、1582年6月2日、織田信長は48歳で最後を迎えます。しかし、「天下布武」のビジョンは豊臣秀吉に引き継がれ、実現してゆくのです。

多くの経営者がビジョンを掲げます。最も重要なことは、ビジョンの戦略目標への一直線の最短ルートは何かを考えることです。次に重要なのは、社員らがこのビジョンなら実現できると思わせる事。そのためには最短ルートに上にある小さな目標を定め、スピード感をもって成功させることです。そうすれば、社員は腹落ちし、歩み始め、客観的には達成できなかったようなことが実現できると思います。年末年始のお休みには、ぜひともビジョン実現のための短期目標をお考えいただきたいと思います。

2022.12.08 『鳴かせてみようホトトギス』秀吉 松下幸之助はどう言うか?

謹啓 大雪の候 講演で大阪にお招きいただき、久しぶりに大阪城に行ってきました。

宣教師たちが「コンスタンティノープル以東最大の要塞」といって讃嘆した秀吉時代の大阪城はベネチアやニューヨークのように、海から見た姿が最も美しかったそうです。

織田信長は「大阪はおよそ日本一の境地なり」と言い、早くからここに海内の中心を置こうとしました。

その構想を継いだ秀吉は、大阪を大明国を含めた東アジアの中心にしようとし、10万人を収容できる居城を造りました。私は豊臣秀吉の明るさと大風呂敷ともいえる構想力になんとも魅かれます。

その後、徳川幕府によって秀吉時代の大阪城は破壊され、その上に現在の大阪城の石垣が創られました。

松下政経塾時代の若き日、先輩塾生が松下幸之助塾長に質問しました。「織田信長は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』、豊臣秀吉は『鳴かせてみようホトトギス』、徳川家康は『鳴くまで待とうホトトギス』と言いました。塾長ならどう言われますか」

松下塾長は、少し考えられ、その塾生に答えられました。

「わしなら『鳴かぬなら、それもなおよしホトトギス』だな」

その場にいた私は、「なるほどこれが、今太閤とも呼ばれた松下幸之助の経営、人使いの極意か」とすごく納得したことを覚えています。

〇2025年

現在の天守閣は昭和6年に再建されたものです。その前に、1970年の大阪万博の際に「タイムカプセル」を埋めた場所があります。開けるのは5000年先の6970年。今から、5000年前というと、エジプト文明やメソポタミア文明の時期です。大阪城を選んだのは、歴史的場所であり、5千年後にも残っている可能性が高いからということです。

タイムカプセルは1970年万国博覧会の松下館に展示されました。なかには、ソロバンや、自動車センチュリー、新幹線の模型、文芸春秋、婦人公論や平凡パンチなどが入っています。松下幸之助塾長の、「5千年後の人類に送るメッセージ」の録音テープも入っています。1970年の万博は夢とロマンがありました。

万博には後の時代を創る新技術が出展されます。1853年のニューヨーク万博でエレベーターが出展され、後のニューヨークの摩天楼建設を可能にしました。1876年のフィラデルフィア万博では電話が出展されます。

1970年万博は「動く歩道」などがありましたが、注目すべきは「ワイヤレスホン」が出展されたことです。これが後の携帯電話につながり、スマホ革命を生みました。

2025年の大阪万博は、まだ盛り上がりに欠けているようですが、「世界で類を見ない自動運転の実験場になる」そうです。

今までの10年間、モバイルが我々の生活を変えてきました。これからの10年間はモビリティ(自動運転)が鍵となります。2025年大阪万博が日本と日本人に夢とロマンをもたらしてくれることを期待します。

        謹白

2022.11.21 日本企業の部長の年収がタイより低い理由

謹啓 小雪の候 

 経済産業省の「未来人材会議」の発表したデータが注目されています。そこには「日本企業の部長の年収はタイよりも低い」「日本は高度外国人から選ばれない国になっている」とありました。

日本の部長の年収は平均44歳で1600万円、アメリカは37歳で3000万円。タイは32歳で2000万円だというのです。これは2019年のデータ比較ですから、円安の影響はありません。

 英国の経済学者、リンダグラットンが「ライフシフト」で20代前半まで教育を受け、60代まで働き、その後引退という人生モデルは、人生百年時代には適さないと提言したのは今から7年前です。

 彼女の提言の本質は第一に「国際競争が過激になり、世界中の労働者と競争することになる」。第二に「単なるジェネラリストの中間管理職は激減する」。その結果、「スキルを蓄積しようとしない国では労働者は低賃金で暮らすことになる」というものです。さらに、自分を2つ以上の専門性を持つように「ライフシフト」しなくてはならないというものです。

日本の人材投資(OJT以外)は、GDP比の0.1%。アメリカは2%です。さらに二つ以上の専門性を持つ人はほとんどいません。リスキリング(新知識を学ぶこと)も低調です。「日本の部長の年収がタイより低い」は自分に教育投資をしてこなかったという理由があるようです。

〇3年後、ロボットと人間労働量が同じに

コロナの行方はまだ見通せませんが、講演のご依頼をいただくことが多くなりました。

IOT、AIが進んでいるK製作所の管理職研修にお招きいただいたのですが、テーマの一つが「働き方」というものでした。

 ダボス会議で有名な世界経済フォーラムは、ロボットの労働量が人間の労働量と同じになるのは2025年、3年後と予測しました。 DXによって世界で8500万人の雇用がなくなりますが、AIの専門家など9700万人の雇用が生まれます。世界全体で10億人のりスキリング(新知識を学ぶこと)が必要としています。

是非とも、IOT、AIが進んでいるK製作所がリスキリングなどを進め、時代に適合した「働き方」を実現してほしいと申しました。

昭和の時代、アメリカを視察した松下幸之助は「アメリカは週に2日休みにもかかわらず日本の10倍給料を払っている。それでも会社はもうけている。1人当たりの生産量が10倍だからだ」と驚きました。「一日休養、一日教養」で生産性を上げようと、松下電器(当時)が日本でトップランナーとして「週休2日制」を導入したのは1960年のことです。令和の時代には、K製作所がトップランナーになってほしいと思っております。

質疑の時間となりました。1人のリーダーが言われました。

「今、IOT、AI、自動運転などを導入して工場を大改革中です。改革が終わり完成したら是非、嶋さんに見に来てもらいたいです」

 私も是非とも見せていただきたいと思います。謹白

2022.11.7 撤退の上手いリーダーが天下を取る

謹啓 立冬の候 

伊豆の山並みに夕日が沈むとき、相模湾が輝き茜富士がなんとも美しい湘南です。

2月24日からのウクライナ侵攻が長期化しています。2月時点でロシアに進出していた日本の上場企業168社のうち18社、約11%が撤退を決めました。

ただ、世界に目を向けると日本企業の撤退への経営決断の遅さが目立ちます。英国は47%、米国は28%の企業がすでに撤退をしています。全世界主要企業1300社のうち、23%にあたる300社、23%が撤退を決めており、日本は先進7か国中2番目に低い水準です。ちなみに最下位はイタリアでした。(エール大学調査)

撤退は進むよりも難しいものです。孫正義氏は「僕も何度も退却戦を経験しました。退却をするときは攻めるよりも十倍勇気がいるんです。マスコミにはめちゃめちゃ叩かれる。ジョイントの時はパートナーにも迷惑をかける。そこで一生懸命やっている部下たちもいる」と言います。

孫氏は後継者育成のソフトバンクアカデミアで「退却をやれるものだけが、リーダーとしての資質がある。意地でやるやつはバカだと思え。退却できない奴はバカだと思え。そんなケチな奴がリーダーになっちゃいけない」と激しく述べています。

中国の「左伝」に「可を見て進み、 難きを知りて退くは、軍の善政なり」とあります。「有利なら進めばいい。だが、不利と見たらいち早く撤退するのが、作戦の原則である」という意味です。2023年は世界全体がスタグフレーションに陥る可能性が高いです。経営に携わるリーダーたちは苦境事業の撤退を視野に入れる時期かもしれません。

〇撤退の上手いリーダーが天下を取る

 私の著書「孫正義の参謀」(東洋経済)が中国語に翻訳されていることもあり、コロナ以前はたびたび中国に講演に招かれました。三国志の蜀の国、劉備玄徳本拠地で、諸葛孔明のお墓、武侯祠のある成都にもお招きに預かりました。講演での私の紹介は「孫正義の孔明」というもので、お土産に孔明がもっている羽で創った軍扇をいただきました。

 ただ、私は孔明より、漢の高祖・劉邦の軍師、張良のほうが好きです。張良が座右の書とした「六韜三略」は私が戦略・戦術を考える際の原典となっています。私がソフトバンクに入る2005年10月、孫正義社長に「ソフトバンクの張良になりたい」という手紙を差し上げたことがあります。

劉邦は、ライバルの項羽と天下を争いました。 初めは戦うたびに敗れ、逃げ回ってばかりいます。そんな中で、じわじわと勢いを盛り返し、ついに逆転に成功します。劉邦が天下 を取れたのは、逃げ方がうまかったからだと思います。

 中国史を紐解いていますと、 大きく勢力を伸ばして天下を取ったのは撤退のうまい人物 でした。 進むことを知って退くことを知らない、リーダーは、 ほとんど 途中で潰されています。 勝ち上がっていくのは撤退のうまいリーダーで、これには 一人の例外もありません。

 戦略の「略」は略することを意味します。撤退によって余裕ができた人材、資金を重点分野に投入することは天下を取る「戦略」です。「撤退」は伸びる前に縮むこと。あくまでも天下を取るための戦略への準備なのです。

    謹白

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